その日、私は朝から妙に身体が重かった。
洗濯機の回転音、子どもたちの忘れ物チェック、台所に立ち尽くして湯気の向こうでぼんやりする自分。 夫を見送ってから静まり返ったリビングに腰を下ろすと、ソファのクッションがじんわりと私の疲れを吸い込んでいく。
三十六歳。結婚して十年。八歳と六歳の男の子の母親。
世間的には「幸せな家庭」と呼ばれるのかもしれない。夫は誠実で子煩悩。仕事も安定していて、生活に困ることはない。私自身も、山田優に似ていると言われることがあるくらいには、年齢に抗ってそれなりに努力している。
でも――
夜、ふと鏡に映る裸の自分を見るたび、私はため息をついてしまう。
張りを失いつつある胸。お腹の柔らかさ。産後にうっすらと残った妊娠線。鏡の中の自分が、「女」ではなく「母親」の顔をしていることが、なにより哀しかった。
そしてなにより、夫との交わりは月に一度あるかどうか。 触れられることのない肌、濡れることを忘れた身体。 それでも私は、誰にも言えず、ずっと渇いていた――。
その日の午後。子どもたちが帰ってくる前に買い物を済ませようと、駅前の商店街を歩いていた私は、ふと裏通りに出た。
そしてその角に、ひっそりと佇む「リラクゼーション」の文字に足が止まったのだった。
小さな立て看板。「全身ほぐし・60分5500円」
(少しだけ……なら)
心の中の“母親”がそう囁いた。でも、それよりもずっと大きな声で、“女”が私の手を引いた。
扉を押し開けると、柔らかな照明とアロマの香り。 受付にいたのは、30代前半と思われる男性。短く整えられた髪に、端正で野性的な顔立ち。どこかで見たような……そう、東北楽天の聖澤諒選手に似ている。
「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
低く、やや鼻にかかった声。 目が合った瞬間、心臓が跳ねた。
「……はい、ちょっと腰が重くて」
「それなら、全身リンパのコースがいいですね。60分で5500円になります」
その言葉を聞く間も、私の視線は彼の腕や喉元の筋に吸い寄せられていた。 (こんなふうに、男の身体を“見る”のは、何年ぶりだろう)
カーテンで仕切られた施術スペースへと案内され、私はワンピースを脱いで、下着姿になった。ブラはレース、ショーツはベージュ。自分でも、どこか滑稽だと思った。
うつ伏せに寝て、背中にかけられたタオルの重さに、心がじんわりほどけていく。
そして、始まった。
彼の手が、背中に触れた瞬間――
私の全身の皮膚が、まるで目を覚ましたように、ざわざわと波打った。
指先が、肩、肩甲骨、脊髄の際、腰のくぼみ、太もも……と静かに巡るたびに、思考が薄れていく。 (気持ちいい……こんなの、久しぶり……)
声を出すまいと思っていたのに、次第に吐息が漏れた。 「ん……ふぅ、あぁ……」
自分でも驚くほど甘く濡れた声。
そして、バスタオルがめくられる。 背中に冷たい空気が触れた後、彼の手が、素肌に直接触れてきた。
(……だめ……でも……)
私は何も言えなかった。ただ感じていた。
やがて、彼の手がブラのホックに触れた。
「失礼しますね。……少し、圧迫を避けたいので」
そしてスルリと外され、ストラップが肩から落ちていく。
胸が自由になった感覚。重力に引かれる乳房。
(こんな姿、見られたくない……) 恥ずかしさに頬が熱を帯びる。
「……大丈夫。綺麗ですよ」
彼の声が、耳元でそっとささやいた。
その言葉に、何年ぶりかで胸がきゅっと締めつけられた。
(……わたし、綺麗? 本当に?)
そして、そのまま……乳房を、掌で優しく包まれる。 親指が、乳首の先端をなぞる。
「……んっ……んぁ……」
身体が、じんじんと燃えていく。 胸だけじゃない。太ももも、内腿も、奥も、どんどん熱くなっていく。
仰向けにされる。 とっさに腕で胸を隠したけれど、彼はそれをそっと解いて、私のすべてを見つめていた。
「恥ずかしがらないで……こんなに綺麗なんだから」
そう言って、唇を乳首に触れさせた瞬間――
私は、完全に“女”に戻っていた。
唇は乳首を啄み、舌先が円を描くたび、背筋がぞくりと痺れた。 片方を愛されながら、もう片方を指が愛撫し、私は声を押し殺すのに必死だった。
「やっ……んん……そんな……」
熱は、身体の奥からこみあげていた。 彼の手が腹をなぞり、下腹部、そしてショーツの上から優しく撫でられたとき――私はもう、濡れていた。
「すごい……もう、こんなに」
囁く声に、身体がびくりと震えた。 ショーツが、ゆっくりとずり下ろされていく。 そのまま、彼の唇が、私のそこに……。
「いやっ……やだ……そんな、舐めないで……」
けれど声とは裏腹に、脚は自然と彼を受け入れるように開いていた。 舌が、花びらのようにひらいたそこを優しくなぞり、芯を捉えて吸われた瞬間、私は、声を上げた。
「だめっ……あっ、あぁっ……んんっ!」
腰が浮き、手がシーツを握りしめる。 快感が押し寄せ、ひとつ、波が通り過ぎていった。
息も絶え絶えの私を見つめながら、彼は自分の服を脱いでいく。 シャツ、パンツ……そして、最後に残されたボクサーブリーフ。
その下の隆起を見て、私は思わず息をのんだ。
(……そんな……大きい……)
パンツが脱がれると、堅く膨らんだそれがあらわになる。 彼は、ゆっくりと私の口元にそれを添えた。
「……お願い。感じて」
私は、おずおずと唇を開き、それを受け入れた。 熱くて、脈打っていて、生き物のよう。 舌を絡め、喉奥まで吸い込む。
ぬちゅ……じゅる……音が部屋に響き、私は夢中になっていた。 自分がこんなにも貪欲に、男を咥える女だったことに、自分自身が一番驚いていた。
そして――彼は私の脚の間に膝を割って入り、先端を私の入り口にあてがった。
「奥さん……入れるよ……」
そして、ゆっくりと、ゆっくりと―― 彼のすべてが、私の中に沈んでいった。
(……は……あぁ……っ)
長い間、空洞だった身体の奥が、彼によって満たされていく。 夫では届かなかった場所。 触れられることのなかった奥の奥に、彼は確かに届いていた。
「気持ちいい……奥さん、すごく締まる……」
「やだ……言わないで……でも……もっと……」
腰を突き上げられるたび、甘い波が身体を襲う。 汗ばむ肌と肌が絡まり、シーツはぐしゃぐしゃに乱れ、私の声はどんどん大きくなる。
「イく……あっ……イッちゃうっ……!」
そして――私は果てた。
中で彼の熱が溢れ、私の中を満たしていく感覚。 身体の芯まで貫かれ、私はただ、呆けたように天井を見つめていた。
息が整うまで、しばらく沈黙が流れた。
やがて、彼がぽつりと言った。 「……ありがとうございました。60分、ぴったりですね」
現実が、そっと、戻ってきた。
私は乱れた髪を整えながら、静かに服を着直し、鏡に映る自分を見た。
そこにいたのは、“母親”でも“主婦”でもない―― たしかに“女”として満たされた、ひとりの私だった。
外に出ると、午後の日差しがまぶしくて、目を細めた。 買い物袋は空のまま。 でも、私の中の何かが、確かに満たされていた。
また来てしまう気がした。 あの、やさしい手の記憶に、背中からほどけてしまう自分を知ってしまったから。




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