欲求不満なウチの妻がママ友たちに聞いてこっそり呼んでいたSEX代行サービス「モーダメダメ、イクイク」 有馬みずき
主人公・みずきは、長年の結婚生活で心の距離を感じながらも、もう一度女性としての感情を確かめようとする。その過程で見えてくるのは、罪ではなく「生きている証」としての欲望。
映像は決して過激ではなく、むしろ繊細で現実的。視線、呼吸、沈黙の間──それらが観る者の心を掴んで離さない。
大人の女性の孤独と再生を丁寧に描いた、深い余韻の残る一作。
【第1部】午後四時のカーテン──乾いた私に触れる風
午後四時。
洗濯物を取り込む指先が、いつもより少しだけ遅かった。
陽の角度が変わるたび、ベランダの白いカーテンが胸の奥を撫でるように揺れる。
あの布の向こうに夫の姿はない。
ここ数年、彼の声も、匂いも、私の中で遠ざかっていった。
名前は、佐伯美咲。三十五歳。
神奈川の海沿いの町に、小さな一軒家を構えて八年になる。
結婚当初の熱は、いつのまにか習慣という名の灰に覆われ、
気づけば、触れられないままの夜が数え切れなくなっていた。
最初は私のせいだと思っていた。
疲れている夫に求めるのは、わがままなのだと。
けれど、ある夜、湯上がりの自分を鏡で見たとき、
理由はもっと深い場所にあるとわかった。
“女として見られない”ことへの喪失感は、
想像以上に、静かで、長く、重い。
風呂上がりの湿った髪をタオルで押さえながら、
私は寝室の灯りを落とし、スマホの光だけを頼りに布団に沈んだ。
検索履歴の中には、消し忘れた文字が残っている。
「夫婦 セックスレス 代行」
指先がその言葉の上をなぞるたびに、心臓が小さく跳ねた。
ママ友が昼間に笑いながら話していたサービスの名前が、
画面の奥から浮かび上がる。
“モーダメダメ、イクイク”
くだらない名前なのに、なぜか息が詰まった。
笑うどころか、喉の奥が熱くなった。
「まさか、私が……こんなこと、考えるなんて」
声に出すと、誰かに聞かれた気がして、慌てて口を押さえた。
その瞬間、胸の奥で何かがかすかに鳴った。
それは罪の音でも、恥の音でもない。
長いあいだ閉ざされていた“生きている感覚”が、
ゆっくりと目を覚ました音だった。
ベランダのカーテンが、また揺れた。
外の風が、まるで誰かの手のように頬を撫でていく。
「どうせ、誰も見ていない」
そう思ったとき、私はスマホを伏せ、
枕元の時計が午後四時を指していることに気づいた。
夫が帰るまで、まだ二時間。
私の中で、何かが静かに始まろうとしていた。
【第2部】知らない声の温度──呼吸が触れる距離で
翌日の午後、私は何もする気が起きなかった。
洗濯機の回る音が、やけに遠く感じる。
指先ひとつで、昨日の“検索”が現実になるのだと思うと、
スマホの画面が小さな凶器のように見えた。
それでも、どうしても確かめたかった。
あのサービスのページに書かれていた「心のケア」「会話重視」という文字。
どこまで本当なのか。
あるいは、どこまで“嘘でもいい”と思っている自分に気づきたかったのかもしれない。
午後三時過ぎ、私は画面の下にあった「問い合わせフォーム」を開いた。
入力を終えて送信ボタンを押すまでの数分間、
胸の奥で何度も小さく呼吸を止めた。
――そして、夕方。
洗い物をしていると、スマホが震えた。
番号は登録されていない。
けれど、なぜだかその音だけで、全身の神経が張りつめた。
「……はい、佐伯です」
自分の声が、知らない誰かに触れられたみたいに掠れた。
「お問い合わせ、ありがとうございます。モーダメダメ、イクイクの……」
男性の声だった。
驚くほど穏やかで、低く、落ち着いている。
軽薄さは一切なく、
その声が私の鼓膜をなぞるたび、
背筋の奥にゆっくりと波紋が広がった。
「ご希望の日時はありますか?」
簡単なやりとりのはずなのに、
声を交わすたびに、空気が熱を帯びていく。
電話の向こうで笑う彼の息づかいが、
まるで首筋にかかる風のように感じられた。
「……明日の夜、夫はいないんです」
口にした瞬間、自分の言葉の重さに息が詰まった。
それでも、相手は沈黙のあと、
静かに一言だけ返した。
「わかりました。その時間、伺います」
電話が切れても、しばらく耳の奥に声が残っていた。
まるで音が肉体に染み込んだみたいに。
私はスマホをテーブルに置き、
無意識のうちに胸の前で指を組んだ。
罪悪感と興奮の境界線を、
人はこんなにも簡単に越えられるのだろうか。
夜の海のような静寂が、家の中を満たしていく。
その中で、私ははじめて気づいた。
求めているのは“抱かれること”ではない。
“触れられる直前の私”を、
誰かに見てほしかったのだ。
【第3部】夜の雨音──触れたあとに残るもの
約束の夜、雨が降り出した。
昼間の熱を冷ますように、屋根を叩く音がゆっくりと深く響いている。
玄関の鏡に映る私は、いつもより白く見えた。
化粧を薄くしたせいかもしれない。
それとも、どこかで“素肌を見せる覚悟”をしていたからか。
インターホンが鳴った瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
呼吸が少し乱れて、言葉より先に体が反応した。
玄関を開けると、黒い傘の下で彼が静かに立っていた。
昼間の電話の声と同じ、穏やかな気配。
けれど、現実の空気の中で聞くその声は、
鼓膜ではなく皮膚で感じるほど近かった。
リビングに通すと、部屋の明かりが彼の輪郭を柔らかく照らした。
「雨、ひどくなりましたね」
その言葉の間に流れる沈黙が、なぜか甘く感じた。
話しているだけなのに、空気が少しずつ湿っていく。
テーブルの上には、冷めかけたハーブティー。
私は自分の指が震えていることに気づいた。
それを見た彼が、そっと言った。
「緊張してますか?」
笑いながら頷くと、彼の目の奥にある静かな熱が、
心の奥のどこかに直接届いた。
時間が溶けるように流れていく。
どちらからともなく近づいた距離の中で、
私は初めて「恐れ」ではなく「渇き」を感じていた。
触れられたのは、ほんの一瞬。
指先が腕をなぞっただけなのに、
全身の奥で長いあいだ眠っていた何かが震えた。
「こんな感覚、ずっと忘れてた……」
口の中で転がした言葉は、涙に変わった。
泣いているのに、苦しくなかった。
彼は何も言わず、ただ私の髪を撫でた。
その掌の重さが、誰かに“生きている”と証明されるようだった。
雨音が、少しずつ静まっていく。
時計はもう日付をまたいでいた。
彼が帰ったあと、部屋には残り香のような温度が漂っていた。
窓の外では、雲の隙間から月が覗いている。
私は胸の前で手を合わせる。
求めたのは、体ではなかった。
“もう一度、自分を感じること”だった。
【まとめ】濡れた心が乾くとき──愛ではなく、生の証として
夜が明けるころ、私はようやく眠った。
夢の中で、誰かの声が波のように寄せては返した。
それが誰の声だったのか、もう思い出せない。
けれど、あの雨音の奥に、確かに“私自身”がいた。
人は誰かに抱かれることで救われるのではない。
触れられた瞬間、自分の輪郭を取り戻す。
それがどんなに儚く、間違った形でも、
その一度きりの鼓動が、確かに生の証になる。
夫との日常は、また同じように始まるだろう。
朝食をつくり、子どもを送り出し、洗濯を干す。
けれどその指先には、
もう“感じる”という言葉が息づいている。
あの夜、私は罪を犯したのではない。
死んでいた心を呼び戻しただけだ。
雨が止んだ空の下で、
ベランダのカーテンが風に揺れる。
その白さの奥で、私は今日も小さく笑った。
「生きている」
その言葉を、
誰にも聞こえないように唇でそっとなぞりながら。




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