紫陽花の旅で目覚めた私──貸切温泉に残る、誰にも言えない秘密

息子の友達とキャンプに行ってきました。~真夏の汗だく野外ファック~ 浅井舞香



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美咲(みさき)・36歳・愛知県名古屋市在住

【第1部】紫陽花の青にほどける日常──夫の“冗談”が心を濡らした朝

夫が「久し振りに紫陽花でも見に行こうか」と言ったのは、梅雨の気配が薄い、妙に空が高い朝だった。
結婚してから、こういう誘いは減った。だから私は反射みたいに「うん」と返した。嬉しい、というより——胸の奥の固いところが、少しだけ緩む感じがした。

早起きして弁当を作っていると、夫が台所に立った。
「何してるの。弁当なら、どこかで食べればいいじゃない」
眠気の残る声のくせに、いつもより機嫌がいい。私の手元をのぞき込む目が、少しだけ若い。

車は町を抜け、峠を越え、温泉町に滑り込んだ。平日の朝食処は私たちだけで、湯気の向こうに“旅の余白”が広がっていた。
食べ終えてまた走る。川が現れ、橋を渡り、支流に沿って奥へ奥へ。山の匂いが濃くなっていく。

そして、田舎には不釣り合いなほど大きな神社。
境内一面、紫陽花が咲き乱れていた。青、紫、淡い白。湿った土と葉の匂いに、心の膜が一枚剥がれていく。
夫は、私の写真を何枚も撮った。
「やっぱり似合うな」
言葉の温度がいつもより近い。私は笑って、髪を耳にかけた。

その次に来た言葉は、笑いに紛れているのに、やけに鋭かった。
「ここで、お前のヌードが撮れれば似合うだろうな。紫に、お前の白い肌が……」
冗談の形をしていた。けれど私は、瞬間だけ息が止まった。
「ばか。こんなに人がいるのに、脱ぐわけないでしょ」
私が怒ったふりをすると、夫は肩をすくめた。
「もう少し奥なら大丈夫じゃない?」
「だめだめ。今度、もう少し痩せたらね」
そう返しながら——私の内側のどこかが、答えてしまっていた。“もしも”の扉が、鍵を回される前に軋んだ。

十一時。車に戻ると夫が言った。
「この奥に、いい温泉があるらしい。行ってみよう」
その声が、ただの観光の続きを装いながら、私の中に残った冗談の火種へ風を送った気がした。

【第2部】貸切の湯、静かな声──“サービス”という名の境界線

木造の小さな温泉。町営か村営か、看板も控えめで、山の影に隠れるように建っていた。
受付には、六十を過ぎた頃の男が一人。
「二人で千円ね」
笑うと目尻に深い皺が寄り、山の人の時間の長さが見えた。

売店には山牛蒡やこんにゃく、豆腐田楽。私は尋ねた。
「お昼、何か食べられますか?」
「蕎麦が美味しいよ。もっとも、蕎麦しか無いが」
その言い方が、押しつけがましくなくて、妙に安心した。

「先に温泉入ろうよ」
私が言うと、夫は落ち着かない顔で、視線を外した。
「うん。実は、ちょっと谷の様子を見てきたいんだ」
……やっぱり。今日の目的は紫陽花だけじゃなかった。後輩の実家がこのあたりで、渓流に魚がいるらしい。下見を兼ねていたという。

「怪しいと思ってた。早く戻ってね」
そう言った自分の声が、少しだけ甘く聞こえて、私は自分に驚いた。夫がいなくなることが、怖いより先に——“自由”として胸に落ちた。

下駄を鳴らし、川のすぐ上の露天へ。
混浴のように仕切りが薄く、脱衣所は一つ。浴槽が左右に分かれているだけ。
屋根のない空。谷川の音。風の匂い。
私だけの、貸切。

裸になる瞬間、背中に走ったのは恥ずかしさじゃない。
世界から布が一枚剥がれて、肌が空気を覚え直す感覚。湯はややぬるめで、じわじわと身体の奥へ沈んでくる。
私は笑ってしまった。こんな贅沢が、平日の山に残っている。

上がって、先に蕎麦を頼むと、管理人の男が言った。
「景色も良いだろう。ここにも別の湯がある。眺めが違うから、後で入ってみて」
雑談のなかで、彼がこの土地の生まれで木こりだったこと、年を取って管理人になったことを知った。
「若い人は少ない。婆さんばっかりだ」
そう言って笑う目が、私にだけ少し長く留まった気がした。

食後、男はコップを差し出した。
「これはワシからのサービスだ」
果実酒の甘さが喉を滑り、体温に小さな火が点く。湯と酒。旅の気の緩み。
私は“上の温泉”へ向かった。今度は屋根があり、木の匂いが濃い。男女も分かれていて、落ち着くはずだった。

——そこに、その男が入ってきた。

「お湯加減は、どうですかな」
「いいです。気持ちよく入らせてもらってます」
私が笑うと、男は湯の音に紛れるほどの低い声で言った。
「じゃ、背中でも流しましょう」
「え、いいです。自分で洗いますから」
「気にせんでもええ。若い人が入ると、時々こうしてる。座りなさい」

強引、というより“当然”みたいな空気。私は断る言葉をもう一度探したけれど、舌が遅れた。
背中に泡が広がり、掌が滑る。皮膚が、人の気配を覚える。
サービスの範囲だ、と私は自分に言い聞かせた。
けれど男は、私の呼吸の変化を拾うみたいに、言葉を足した。
「前を向いて」
「前は……大丈夫です」
「孫みたいなもんや。恥ずかしいことなんて無い」

“孫みたい”という安全な言い方の裏側で、私は自分の中の危うい好奇心を見つけてしまった。
この人が、私をどう見るのか。
私が“女”として扱われたとき、私はどんな顔をするのか。

私は、ゆっくり前を向いた。

【第3部】谷の音に溶けた秘密──湯上がりの私が夫に求めた理由

男の視線は、礼儀を装っているのに、どこか野生だった。
言葉が落ちる。
「……きれいだ」
その一言が、紫陽花の冗談より、ずっと生々しく私の中に刺さった。

泡の感触が移動するたび、私の呼吸も持っていかれる。
私は観察するつもりで目を閉じたのに、閉じた闇の中で感覚だけが膨らんだ。
風呂場の木の匂い。湯の音。遠い川。
そして、肌に触れる掌。
どれも、私の理性の外側で繋がっていく。

境界線が、薄くなる。
「やめて」と言えば止まるはずだ——そう思えるのに、言葉が喉の奥で湿ってしまう。
“私はいま、どこまで許したい?”
問いが、熱で溶ける。

私が耐えるように息を吐くと、男は笑った。
「……感度がいい」
その声に、私は悔しいほど身体が応えてしまった。
好きか嫌いか、ではなく、もっと古いところが反応する。
私は自分が“そういう生き物”だったことを、忘れていた。

一度、波が頂点を越えると、急に怖くなる。
私は足を閉じ、身を守るみたいに手で隠した。
恥ずかしさが遅れて押し寄せ、湯の中に逃げ込んだ。

男は、それ以上は追わなかった。
「どうだった。気持ち良かっただろう」
昔話みたいに笑って、湯を出て行く。
私は湯の中で小さく首を振った。
「……言わないで」
自分でも驚くほど弱い声だった。

しばらくして、夫が戻ってきた。
「遅い。待たせすぎ」
私は怒ってみせた。怒りの形にしておかないと、身体の内側の揺れが漏れてしまいそうだったから。
夫は興奮気味に谷の話をした。魚がいる、次は一人で来る、朝に竿を出す——。
私は、その言葉を聞きながら、別の“水音”を思い出していた。

帰り道、休憩所で車を止めてもらった。
自分でも分かっていた。私は夫を欲していたのではない。
夫に“戻る”ことで、さっきの自分を帳消しにしたかった。
あるいは——さっき開いた扉を、夫の手で正当化してほしかった。

夫は驚いた顔をした。
「車の中でするのか。お前、珍しいな」
私は答えない。ただ、手を伸ばした。
湿ったままの心が、何かに触れて確かめたがっていた。

——木こりの老人とのことは、秘密。
いやらしいのに、いやらしさとして言葉にできない。
私の中の“静かな獣”だけが、あの湯の木の匂いを覚えている。
紫陽花の青は、写真の中で笑っている。
あの日、私が本当に見たのは花ではなく、境界線の向こう側の自分だったのかもしれない。

まとめ:紫陽花の季節が来るたび、私は“あの湯の音”を思い出す

あの日の出来事を、私は誰にも話していない。夫にも。
話した瞬間に、ただの“下世話な話”に変わってしまいそうで怖いからだ。

でも、忘れたくもない。
紫陽花の青、谷の風、ぬるい湯、木の匂い。
そして、私の中で確かに動いたもの——長いあいだ眠っていた感覚。

夫と笑い合って撮った写真は、いまもスマホに残っている。
花は毎年咲く。季節は巡る。
けれど、私の中の“あの一日”は、咲き終わっても散らない。
次に紫陽花を見に行こう、と夫が言ったら。
私はまた「うん」と答えてしまう気がする。
あの湯の音が、私の奥でまだ、かすかに鳴っているから。

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