第一章:茜色の声、汗ばむ鼓動
北海道・札幌。七月の終わり。
陽はまだ高いのに、アスファルトが焦げるような熱を帯びていて、私の肌にまとわりつく汗が午後の空気を掻き混ぜるようだった。
夕方五時半。
私、片桐真理子・39歳。二児の母で、結婚して十五年になる主婦。
それでも、午後のジョギングだけは欠かさない。自分の身体の境界線を取り戻すために──妻でも母でもない、ただの「私」でいられる短い時間。
その日は、特別に夕焼けが美しかった。
空が燃えるような朱に染まり、豊平川沿いの歩道に長く私の影が伸びていた。
Tシャツの背中が汗で肌に貼りついて、ランニングタイツの内側も湿っていたけれど、風はほとんど吹かず、むしろその熱さが妙に気持ちよかった。
「すみません──」
ふいに背中を引かれるような声がして、立ち止まった。
細身の男の子が、カメラを首から提げて、私の方を見ていた。
「撮らせてほしくて……夕日が、すごくきれいで、それに……その、あなたが、すごく……美しいから」
一瞬、意味がわからなかった。
日焼けした肌に、白いTシャツ。大学生だろうか。いや、少年のような顔──でも、その眼差しだけが、年齢よりもずっと深くて。
「……そんな。私、子どももいる年齢よ」
冗談めかして返す私に、彼は首を振って言った。
「わかってます。でも……今日の光の中で、汗の光り方とか、肩のラインとか……すごく、きれいで。見たことないくらい」
たったそれだけで、身体の奥に火がついた気がした。
褒められるなんて、もう何年もなかった。
夫は子ども中心で、私の変化なんて気づかない。
ふいに──その“見られている”という感覚に、胸が締めつけられた。
「……すこし、だけね。夕日が沈むまで」
私は笑いながら言った。けれど、胸の奥では、何かがゆっくりとほどけていた。
第二章:焦がされるような距離
彼──海斗くんは、北大のカメラ部の一年生だった。
このあたりでよく撮影をしているらしい。近づいてくるレンズの向こうで、私は急に息が浅くなるのを感じていた。
シャッター音が、私の肌に響いてくる。
額の汗がこめかみに流れ、タンクトップの脇から見える肩甲骨に風が触れた気がした。
彼は、息を殺すように私を見ていた。
「もう少し、上を向いてください……はい……その汗、すごくきれいです……」
彼の声が、なぜか耳ではなく、下腹のほうに響いた。
風が一瞬だけ吹いて、タイツの股布がわずかに浮いたとき、私は自分の中にある“濡れ”を、はっきりと感じた。
やがて彼は、私に近づいた。
「……そのまま、動かないで。……汗が、光ってて」
彼の指先が、私の首筋にふれた。
「……触れちゃ、だめでしょ」
言葉では拒んだけれど、身体は逃げなかった。
その手は、カメラを持っていたのに、いつのまにか私の頬を、首を、なぞるように移動して──。
「……本当に、綺麗です」
その瞬間、彼の唇が、私の汗を舐めるように首筋にふれた。
細い舌先が、火照った肌に這い、私は肩を震わせた。
目を閉じると、後悔の匂いと欲望の熱が交差した。
気づけば、公園の木陰。
誰もいない、濃い影の中。
彼は私の手を引いてベンチに座らせた。
私の脚を撫でながら、慎重に、けれど熱を孕んでタイツをずらしていく。
抵抗は──しなかった。できなかった。
タイツの下に、吸い付くような舌が差し込まれたとき、私は思わず声を殺した。
「……だめ、そんな……」
でも、彼はやめなかった。
私がどう反応するかを、探るように、舌を押し入れ、くちづけ、すする。
おかしくなりそうだった。
私の中に誰かが入ってくるなんて、何年ぶりだろう。
濡れた音が、蝉の声に紛れて、小さく響いた。
そして、彼はそっと顔をあげた。
「……入れても、いいですか」
一瞬、空が赤から紫に変わるのが見えた。
私は、頷いていた。
彼はコンドームを取り出し、私の手に握らせた。
「……奥さんに、こんなことさせてくれたらいいのにね、うちの夫も」
そう呟くと、彼は私の中に、ゆっくりと滑り込んできた。
異物感と、圧迫と、熱。
私は自分の汗と彼の熱の中で、ひとつの音になっていくのを感じた。
「……あ……ゆっくり……そう……っ」
ベンチがわずかに軋み、夕焼けはゆっくりと夜に沈んでいった。
第三章:沈黙と再生の輪郭
終わったあと、私たちは少し離れて並んで座った。
夕日はもうなく、空は群青。
汗と快楽の余韻が、まだ身体の奥にゆらめいている。
彼はカメラを、私に向けて一枚、無言でシャッターを切った。
「今の顔……すごく、綺麗だったから」
そう言って笑う彼の顔を見て、私も笑った。
でもその笑いは、どこか痛かった。
罪悪感。
虚しさ。
でも、それ以上に──生きている実感。
「じゃあね。今日のことは……夢だったってことにしましょうか」
そう言って、私はゆっくりと立ち上がった。
彼は私の背中に、またカメラを向けていた。
そのレンズの向こうにいた私は、たしかに、「誰かの妻」でも「母」でもなく──ただ、一人の女だった。
そしてその夜。
鏡に映る自分の身体が、いつもより美しく見えたのは、夕焼けのせいだろうか。
いや、あの少年の──あの青年の、レンズに焼きついた私のせいかもしれない。



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