夜の目黒川は、どこか女性の身体のようだと思った。
光に濡れて艶やかで、静かに流れていながらも、内側では激しく揺れている。
そんな川沿いの遊歩道を、私はひとり歩いていた。
風はまだ冷たく、でも私の内側は熱を帯びていた。
下着は、レースのTバックだけ。
ブラはせず、胸元には香りを帯びたパウダーを馴染ませてある。
何度も繰り返してきた“儀式”。
匿名掲示板に、小さくこう書き込む――
木曜22時/目黒川沿い・東横線高架下近く
白いシースルーシャツワンピース、ノーブラ、Tバック
風が強ければ……きっと透けます
夫には「夜のウォーキング」と言ってある。
私はそうして、週に一度だけ、名もなき女として“晒される”ことで、かろうじて“女である自分”を繋ぎとめていた。
最初にあの場所に立ったのは、ただの好奇心だった。
でも、二度、三度と通ううちに、ひとりの男の存在に気づくようになった。
毎週、決まった時間に現れ、少し離れた場所からこちらを見ていた。
高架下の柱に寄りかかって。
時にはベンチに腰を下ろして。
名前も知らない。でも、私がそこにいることを、彼だけは知っている気がした。
最初は目を逸らしていたけれど、ある日、ほんの一瞬、目が合った。
それだけで、全身が熱くなり、太ももの奥がじんわりと疼いた。
私は“見られている自分”を想像するだけで、身体の奥が濡れるようになっていた。
ある夜、彼は話しかけてきた。
「こんばんは」
その声は低くて、落ち着いていて、でもどこか熱を隠していた。
私は軽く会釈を返した。
“話してはいけない”というルールを破ったのに、不思議と恐怖はなかった。
「見てましたよ、毎週」
そう言われた瞬間、頭の中で何かが弾けた。
視線に晒されていた記憶が一気に蘇り、同時に股間がずくんと疼いた。
彼は名を名乗らなかったが、私は心の中で「杉山さん」と呼ぶことにした。
その名が、なぜかしっくりきた。
杉山さんと話すようになってからも、私は投稿をやめなかった。
彼が来ることは分かっていても、投稿することで、自分を“晒している”という実感が欲しかった。
「透けてたよ、今日も」
「風がもう少し強かったら、Tバックの柄も見えてたね」
そんな言葉を杉山さんから聞くたびに、私は快感の深みに沈んでいった。
彼とは何度もホテルに行った。
けれど、彼との情事でいちばん興奮したのは、抱かれている最中、
「この間の男、君の尻を見て勃ってたよ」
「大学生風の男、君の脚を見て舐めた唇、俺は忘れられない」
そんな“実況”を、彼が耳元で囁いてくれるときだった。
私は、杉山さんに抱かれながら、“他の男の視線”で絶頂する女になっていた。
その日は、朝から風が強かった。
午後には天気が崩れ、夜には嵐になると天気予報は言っていた。
「今日は無理かもしれない」
そう思いながらも、私はスマホの掲示板に、ひとことだけ書き込んだ。
嵐の予報だけど、22時、目黒川。白のワンピース。
誰も来なければ、それはそれで、自由に濡れます
誰にも見られないかもしれない――
けれど、見られるかもしれない――
その“可能性”が、私の興奮を煽った。
22時。
目黒川沿いの高架下。
風はすでに凶暴で、傘は意味を成さず、ワンピースの裾は踊るように舞い上がっていた。
私は、そこに立っていた。
下着はなし。
風に膨らむ薄布の下、すべてを風と闇に晒して。
誰も来ないかもしれない。
けれど、身体はもう、湿りはじめていた。
そのときだった。
足音――スニーカーの音。
そして、気配。
振り返ると、20代前半くらいの、細身の男の子が立っていた。
白いTシャツに、濡れた髪。
あまりにも若くて、一瞬“違う”と思った。
けれど彼は、私を見て、目を逸らさなかった。
「……本当に、いたんだ」
彼がそう呟いた瞬間、全身に電流が走った。
この子も、掲示板を見て来たのだ。
私はなにも言わず、風に揺れるワンピースをそのままに、彼の前に立ち続けた。
裾がめくれ、脚の奥が、まるごと見えてしまっている。
でも、私は押さえなかった。
その羞恥こそが、私を“ひらく”。
彼は、動けないでいた。
まるで目の前の私が現実かどうかを確かめているように。
「……触れて、みる?」
私の声は、風に消されそうだった。
でも彼には届いていた。
彼の手が、震えながら私の太ももに伸びた。
指先が、濡れた肌に触れた瞬間、私は全身が跳ねるような快感に包まれた。
「……すごい、あたたかい……」
彼が呟く。
私は彼の手を掴み、自分の脚の間へと導いた。
「そこ……触れて、ほしい」
嵐の夜、目黒川の風と雨に濡れながら、私は知らない大学生の指に導かれ、自らの欲望を曝け出していた。
彼の指が、迷いながらも確かに私をなぞる。
私は腰を突き出し、声を押し殺しながら、快感に溺れていった。
気づけば私は、彼の手を自分の胸元へと導いていた。
濡れたワンピース越しに浮かぶ乳首を、彼が指でなぞる。
「こんなふうに……触れられてるの、初めてです」
「こんな濡れてるひと、見たことない」
その素直すぎる言葉に、私は理性の最後の糸を手放した。
そして私は、橋の裏手の暗がりに彼を連れ込み、
自分の脚を開いた。
「見て……」
「これが、あなたを待ってた身体」
大学生は、濡れた瞳で私を見ていた。
その瞳が、怖さと興奮と背徳とを同時に映していた。
そして彼は、私をひとすじの火のように撫で、
私はその炎に焼かれるように、静かに、熱く、果てた。
あとには、嵐の音だけが残った。
私は彼の手を握り、「ありがとう」と囁いた。
その言葉が、自分の口から出たことに驚いた。
けれど確かに、あの瞬間、私は“赦された”気がした。
欲望に堕ちてゆくことでしか、救われない女。
名も知らぬ若い男に触れられて、私は初めて、自分の深い孤独に手を伸ばせたのかもしれない。
翌朝、目が覚めると身体の奥に、彼の指の温度がまだ残っていた。
スマホには、杉山さんからのメッセージが届いていた。
昨夜、嵐の中で咲いていた君を、遠くから見ていました
君は、美しかった
そして、自由だった
私は、スマホを抱きしめるようにして、また目を閉じた。
目黒川の夜風が、まだ耳元でささやいていた。



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