第一章:扉の向こう、甘い獣が待っていた夜
夫が出張に出る夜は、決まって少しだけ部屋の空気が軽くなる。
東京都世田谷の閑静な住宅街に建つこの低層マンションで、私は三十二歳の妻として、何不自由ない暮らしをしていた。
だけど“女”としては、どこか空洞を抱えたまま、日々をやり過ごしていた。
その夜、夫は大阪出張だった。
「遅くなるから、ゆっくりしてていいよ」
出がけにそう言って、彼は私の額にキスを落とした。
──私は笑って見送ったけれど、どこかその言葉に甘える自分を、少しだけ許していた。
夕食を簡単に済ませて、ワイングラスを片手にバスローブでソファに座る。
Netflixの画面は流れていたけれど、心はなぜか上の階にあった。
あの部屋。
あの、静かで、時折バルコニー越しに視線を交わす彼──朝倉くん。
23歳、大学院で建築を学んでいるという青年。
挨拶程度の関係。でも、なぜか彼は、こちらを見つめるときに目を逸らさなかった。
そして、その夜──
玄関のインターホンが鳴った。
「……はい?」
モニター越しに映ったのは、想像もしなかった彼の姿。
夜10時を過ぎていた。私は思わず息を呑んだ。
「すみません……あの……」
彼は目を泳がせながら続けた。
「洗濯機の排水が、下に響いてるかもって思って……水音、大丈夫でしたか?」
──その言葉の裏に、ほんのわずかの嘘があることを、私はなぜかすぐに察した。
洗濯機の排水音なんて、聞こえるはずがない。うちのは二重床。
でも、彼が“理由”を探して、私のドアの前に立っていることが、なぜか嬉しかった。
私は、胸元をゆるく閉じたローブの襟に手をやった。
「ううん、大丈夫よ。全然聞こえなかった」
そして一拍置いてから、柔らかく言った。
「……よかったら、ちょっと上がってく?」
彼は驚いたように目を見開いたけれど、すぐにうなずいた。
「……じゃあ、少しだけ」
彼がドアをまたいだその瞬間。
私は理解していた。
“何か”が、もう後戻りできない場所まで、降りてきたのだと。
第二章:視線でほどかれる、ローブの奥の私
彼が玄関をまたいだ瞬間、
マンションの一室は、まるで異空間のように温度を変えた。
ソファとカーペット、間接照明の柔らかい明かり。
そして、私の身体を包むのは、乾ききらない髪と、白いバスローブだけ。
彼は、その空間に一歩ずつ、足音を落としながら入ってきた。
目は決して、私の顔だけを見てはいなかった。
「……あの、ほんとにすみません。遅い時間に……」
「ううん、いいのよ。ひとりだったし……ちょっと、寂しかったから」
そう言って、私はワインの入ったグラスを差し出した。
胸元がわずかに開いていることに、気づいていないふりをしたまま。
彼が視線をそこに落とすたび、肌がじんわりと熱を帯びる。
私のローブは、決して乱れていなかった。
だけど、“見られている”と意識した途端に、
中の素肌のすべてが、その目にさらされているような錯覚に囚われた。
彼が手にしたワイングラスと指が触れ合ったとき──
カツン、と氷が鳴った。
「……朝倉くん」
私は、彼の名前を呼んだ。
「さっき、ほんとは……洗濯機の音なんて聞こえてなかったんでしょう?」
彼の肩がピクリと揺れた。
そして、目がゆっくりと、私の唇から胸元へ滑っていく。
「……見てました。下の階のベランダ。ときどき……」
彼の告白に、私は喉奥が痺れるような熱さを覚えた。
「あなたがバスローブで外に出るとき……髪が濡れてて……それが、頭から離れなくて……」
その瞬間、心の奥の扉がひとつ音を立てて開いた。
「……そんなに、見られてたのね」
私は、ソファに座り直す。脚を組むと、ローブの裾が自然と割れ、太腿の内側が露わになった。
空気が、そこに触れてざわめく。
彼の目線が釘付けになっているのを、私は感じながら、あえてそっと脚を組み替えた。
「見たいのなら……ちゃんと、見せてあげる」
小さく囁いたその言葉に、彼の喉がゴクリと鳴った。
第三章:触れるたび、女の奥が目覚めてゆく
指先が、私の足首から這い上がってきたとき、
私はもう、自分の意志でローブの帯をほどいていた。
ゆっくりと解かれた布が、肩から滑り落ちる。
彼は言葉を失ったように、ただ、私の身体を見つめていた。
「……綺麗すぎて、こわいです」
震える声が、どこか少年のようで、愛おしくさえ感じた。
でもその瞳は、男のそれだった。
彼の手が、私の胸を包み込む。
乳房の重みを受け止めるその掌が、まだどこかぎこちない。
けれど、親指でゆっくりと頂点を撫でた瞬間、身体がビクリと震えた。
「もっと……触れていいのよ」
そう言う私の声が、かすれていた。
彼の舌が、私の鎖骨から胸の谷間へと滑り降りてくる。
尖った舌先が、そこに息を吹きかけ、唇で甘く吸われたとき──
私は首を仰け反らせ、息を呑んだ。
脚を開くように促されることはなかった。
彼の視線と、吐息と、触れられる前の緊張感だけで、私は自ら太腿をわずかに緩めていた。
その隙間に、彼の指が迷いなく滑り込んでくる。
そこはもう、とろりと濡れていた。
「こんなに……奥さん、いや……美咲さん」
名を呼ばれるたびに、奥の奥が疼いてゆく。
彼がゆっくりと入ってきた瞬間、
世界が、ひとつ音を立てて反転した。
若く、張り詰めたものが、私の内側を貫いてゆく。
シーツが軋む音すらも、甘美な旋律のように聞こえた。
「……あっ……もっと……」
声が自然に漏れた。
彼の動きはまだぎこちなく、けれど一途だった。
何度も角度を変えながら、私の奥を探し、擦り、深く沈んでくる。
私の腰が勝手に浮き上がり、彼の身体を求めて跳ねるたび、
快楽が波となって全身を突き抜けた。
「朝倉くん……」
彼の名を呼びながら、私は身体ごと溶けていく。
果てたあと、私の指先が彼の背中に強く沈んでいたことに気づいたとき、
涙が一粒、こぼれた。
喜びか、寂しさか、それすら分からない。
けれど確かに私は、あの夜、“女”としての命を取り戻していた。
終章:彼の痕跡を隠しながら、私は日常へ還っていく
朝。
彼は静かにドアを開け、気配を消すように出ていった。
私はシャワーの中で、肌に残る熱を洗い流しながら、
鏡に映る自分を見つめた。
首に薄く残る赤い痕。
そこは、昨夜“彼”が食むように唇を落とした場所。
朝食を作りながら、私は思う。
この身体は、私ひとりのものではないと。
けれど、“誰のものか”も、今は決められない。
夜の間だけ開く扉。
その先にいる彼と、
また、会ってしまう気がしてならなかった──



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