拒むはずだったのに、私は彼の熱を握りしめていた
午前七時五十六分。
その電車はいつも通り、黙ったまま走っていた。東西線の通勤時間帯。 誰もが眠そうな目でスマホを見つめ、あるいは目を閉じて揺れに身を任せている。
私も、その「日常の一部」だった。
清潔なシャツに、紺のタイトスカート。派手ではない、でも気を抜きすぎない。そんな“主婦の正装”。 夫と子どもを送り出した後の、唯一のひとり時間。 パート先へ向かうこの時間だけが、私にとっての「移動」であり「呼吸」だった。
それが、壊れたのは──
西葛西で、彼が乗ってきた。
「彼」と言っても、名前も知らない。年齢も職業もわからない。 ただ、乗り込むなり私の正面に立ち、そしてこちらを見下ろした。
目が合ったわけじゃない。 でも、確かに「私を見た」と感じた。 私の脚、腰、胸元へと、視線がひと撫でしていった感覚。
そして、そのままぎゅっと押し込まれるようにして、私と彼は密着した。
背筋が伸びた。 逃げたいのに、逃げられない。
私の身体は、彼の太腿とぴたりと重なっていた。 そして──気づいてしまった。
彼が、反応している。
下腹部の硬さが、スカート越しに私の太腿に当たっていた。 その事実が、羞恥となって一気に胸に広がる。
顔から火が出そうだった。 なぜ? なぜ私なんかに?
でも、それ以上に── なぜ私の脚が、力を抜いているのかが分からなかった。
電車の揺れで、彼の身体が私に押し当てられるたび、私の呼吸は浅くなった。 彼は何もしていない。ただ、立っているだけ。 でも、その沈黙が私を狂わせた。
羞恥と、屈辱と、そして── どこか奥底からじわじわと滲み出す熱。
そのときだった。 彼の手が、そっと私の手に触れた。
混雑のなかで、偶然を装って添えられたような手。 私は咄嗟に手を引こうとした。 でも、その指先が微かに震えていた。
……怖がってるの?
いや、違う。 それは──我慢している、熱の震えだった。
私は……何を思ったのか、自分の指を彼の手の上に重ねた。
彼の呼吸が、少しだけ変わった。 私の指を、そっと握り返してくる。
次の瞬間、彼の手がゆっくりと動き、私の手を導いた。
スーツの腹部。 そして、その中心。
私は、その硬さに触れてしまった。
下着越しでもわかる。 息を呑むほどの熱。
「ダメ……」 そう心のなかで叫びながら、私の指先はその形をなぞっていた。
羞恥のなかに、確かな興奮があった。
私の手の中で、彼はさらに硬くなる。 彼は声ひとつ発さず、ただ、身を震わせている。
指を少し動かすと、彼の腰が反応する。 スーツの布地がきしむ音すら、官能的に思えた。
私は何をしているの?
それでも──私は、その硬さを確かめるように包み込み、ゆっくりと上下に動かした。
彼が微かに息を漏らした。 その吐息が私の耳に届く。
その瞬間、私は、優位に立っていた。
羞恥と屈辱の底で、私は彼を「感じさせている」悦びに溺れていた。
そして、私は身体の重心をほんのわずかに後ろにずらした。 彼の手が私の腰に触れやすくなるように──まるで誘うように。
揺れる車内、誰にも気づかれないように、私だけがその体勢を整えていく。
電車は大手町に近づいていた。
彼の腰がわずかに突き出る。 彼は、堪えきれずに私の手の中で震えた。
彼の熱が、指先に伝わる。
私は──自分の脚のあいだが、濡れているのを知っていた。 彼の絶頂が、私を満たした。
私がいかせた、という事実だけで、私は軽く震えていた。
電車が停まった。
彼は、目を合わせることもなく、降りていった。
私は手を見た。 そして、自分の身体が、まだ火照っていることを確かめた。
あの日から、朝の電車が怖くてたまらない。 でも、どこかでまた──と期待している自分もいる。
私は今日も、同じ場所に立っている。



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