結婚して、まだ一年も経っていなかった。短大を出て就職した会社で6年。結婚したのは、そこで出会った3歳年上の主人との恋の果てだった。私は、いま26歳。人からは「落ち着いて見える」と言われるけれど、本当は、臆病なだけ。
──そして今、私は、主人ではない男の体温に、心の底から震えている。
その男──彼は、35歳の独身。部署異動で私の職場にやって来た春の日、彼の姿を初めて見たときのことを、私はまだ忘れられない。グレーのスーツに包まれた体躯の大きさ。瞳の奥に沈んだ静かな光。そして、笑うときにだけ覗く、柔らかな影。胸の奥に、まだ名前のない感情が芽生えた瞬間だった。
気づけば、彼の姿を目で追うようになっていた。エレベーターで隣に立つだけで、香水でもないのに胸が高鳴る。会話を交わすたび、声の低さと抑えられた優しさに、全身が熱を帯びていくのを感じていた。
5月。彼の誕生日を知った私は、思いきってペンケースを贈った。私の中の“良識”が、どうかしていたのかもしれない。でも、それ以上に、彼の喜ぶ顔が見たかった。
その夜、主人は出張だった。彼とふたりきりで向かったレストラン。ワインを2杯、ゆっくりと飲んでから、彼が私の手をとった。「少し、歩かない?」そう言って連れていかれたのは、夜景を望む空中廊下。
都市の灯りが足元に広がり、風が頬に冷たく心地よかった。そんな中で、彼は小さな箱を差し出した。「君に、似合うと思ったんだ」中には、繊細なシルバーのピアス。
「私、ピアスの穴…あいてないんです」 「開けてみないか。君の耳たぶが、それを望んでいる」
そう囁きながら、彼は背後から私を抱きしめた。首筋に熱のある吐息がかかり、うなじへと唇が触れる。電流のような感覚が背筋を走り、私は声を出すこともできず、その場に立ち尽くしていた。
「君にはもっと、似合うものがあると思う」 「たとえば?」 「下着──今夜、選ばせてほしい」
信じられない言葉。でも、その響きに、なぜか抗えなかった。身体のどこかが、その提案に疼いていた。
彼に手を引かれたまま、私は地下のランジェリー売り場にいた。主人とさえ一度も立ち入ったことのない場所。彼の目が、レースとシルクの間を迷いながら、静かにひとつのセットを手に取る。「ラベンダー色、好きだろ?」見透かされたように胸が高鳴る。
その後の車中。私は後部座席で、彼の唇に吸い寄せられるように応じていた。口づけが深く、舌が触れ合い、熱が交錯していく。スカートの裾から忍び込む指先が、太腿の内側をゆっくりと撫で上げる。
「今日、買ったのに履き替えてみようか」 「どこで…?」 「トイレがあるだろ。履かせてあげる」
誰もいない深夜の公園トイレ。個室のドアが閉まった瞬間、彼は私を背後から優しく壁に押しつけ、スカートをまくりあげる。ゆっくりとストッキングを滑らせ、下着を脱がせ、代わりに自ら選んだものを慎重に履かせていく。
その指先の丁寧さに、女としての何かが溶けていく。ストッキングを履かずに外へ出る自分が、もう“いつもの私”ではないと知っていた。
帰りの車内。彼の唇が、再び私の耳元で囁く。
「秘密の合図にしよう。ピアスをしてきた日は、俺だけのものだって」
私は、頷いていた。
次の週。私はそのピアスを着けて出勤した。彼は一目で気づき、微かに笑っただけだった。でもそれだけで、私は一日中、身体の奥に火を抱いているようだった。
──7月24日。
ホテルのベッドに沈み込んだ彼の体温は、あの夜の風よりも熱かった。 バスタオル一枚の私を、彼は黙って抱き上げた。
「今日は誰にも、渡さない」
そう言って携帯の電源を切り、遠くへ投げた。
唇が首筋を這い、鎖骨、乳房へと下りていく。乳首に舌先が触れた瞬間、息が止まり、全身が跳ねた。彼の手が脚の間に忍びこみ、すでに湿りを帯びた部分をやさしくなぞる。
「感じてるんだね…すごく、可愛いよ」
ひと筋の涙が頬を伝う。嬉しくて、苦しくて、でも何よりも、生きている気がした。
彼の舌が、私のいちばん奥へと届いたとき。私は初めて、絶頂を迎えた。 そしてそのまま、背後から彼に抱かれ、何度も、果てた。
その瞬間、私は理解した──
主人では一度も味わえなかった、身体の芯が溶けるような快感。 奥を衝かれるたび、思わず声が漏れた。 彼のものは、想像していたよりもずっと大きく、熱く、私の身体をかき乱していく。
「奥まで届いてる…っ」
そんな言葉が、恥ずかしさよりも先に、唇から零れ落ちていた。
「もっと…奥を…っ」
私は、自分でも知らない声で懇願していた。
彼の熱が、私の最奥に注がれた瞬間、頭の中が真っ白になった。
「もし、出来たとしても──産みたい」
そんな言葉が、喉の奥に浮かびかけていた。
主人との日々は、穏やかだ。でも、彼との時間は、火を浴びるような快楽に満ちている。
今日も私は、ピアスを身につけて出社する。 誰にも知られずに──彼にだけ、気づかれるために。



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