四月。風にまだ春の匂いが残る季節。
夫の転勤で、私たちは四国の静かな港町に引っ越してきた。
私は二十八歳。子どもはまだいない。
結婚して三年、幾度かの期待と落胆を繰り返し、ようやくたどり着いたこの土地で、
「きっとここなら落ち着いて暮らせる」──そう思った。
家は、町の中心から少し外れた小高い丘の上。
小さな庭とウッドデッキがついた、こぢんまりとした木造の一軒家。
社宅に空きがなく、会社が借りてくれた家だったが、私はひと目で気に入っていた。
目の前には空と山。
隣家はひとつだけ。
大学生の男の子がひとりで住んでいるらしく、朝に洗濯物を干す姿を何度か見かけた。
歳は、たぶん二十歳そこそこ。
顔立ちは整っていて、あどけなさと男らしさが混ざり合っている。
目が合えば、軽く会釈してくれるような、礼儀正しい青年だった。
私にとってはただの隣人。
そう──あの日までは。
連休のある日、夫が「実家に釣り道具を取りに帰る」と言い出した。
「私も行こうか」と口にすると、彼は少し笑って首を振った。
「たまには一人でのんびりしてなよ」
私はうなずいた。
ほんの少しだけ、安堵していた自分に気づいたのは、その夜だった。
三日間。
私は、久しぶりに“完全なひとり”を手に入れた。
二日目の午後。
することもなく、スーパーのお弁当を食べたあと、
私はなぜか、急に下着を脱ぎたくなった。
薄手のノースリーブワンピース。
肩のストラップは細く、胸元が浅く開き、丈は太ももが見えるほど短い。
いつもなら気にして着ないそのワンピースを、私はためらいもなく手に取った。
風を通す布地の感触が、肌をやさしく撫でる。
ブラもショーツもつけずに身にまとうと、どこかで抑え込んでいた何かが、そっと浮かび上がってきた。
“女”であること。
それを忘れかけていた私の中に、じんわりと熱が灯っていく。
二階の寝室。
ベッドに腰かけ、なんとなくテレビをつけると、再放送のサスペンスドラマが流れていた。
女が、男に押し倒され、唇を吸われていた。
指先が、うなじをなぞる。
まぶたの震え、胸元の布がはだける一瞬の描写。
テレビの中の女の身体に、私は、見えない糸で繋がれたような感覚を覚えた。
なぞるように、自分の太ももに手を置いた。
その指が、すこしずつ上へと滑っていく。
胸の先が硬くなるのが、自分でもわかる。
「……私、どうしちゃったんだろう」
そうつぶやいた声すら、熱に溶けていく。
私は、引き出しから黒いペンを取り出し、
念のためと夫が置いていったコンドームをかぶせて、それをゆっくりと身体の奥へ。
入り口が拒んだのは、ほんの一瞬だった。
濡れていた。
自分でも驚くほど、深く、濃く。
腰を揺らしながら、右手で愛の芽を撫でる。
体がとろけるように熱くなっていく。
誰にも知られない午後。
私は、女として目覚めていく自分を、ただ、受け入れていた。
そして──
ふいに、皮膚の上を這うような視線を感じた。
カーテンの隙間から差し込む光の向こうに、何かがある。
反射的に窓のほうを見ると──そこに、彼がいた。
隣の家の大学生。
窓の外の通路を歩いていた彼は、ふと視線を向けた拍子に、
カーテンの隙間からこちらを見てしまったのだ。
私と、目が合った。
いや、正確には──彼は、すべてを“見て”いた。
胸をのぞかせたワンピース。
脚を開き、ペンを挿れたまま腰を揺らしていた姿。
絶頂に近い女の、恥ずべき、けれどあまりにも官能的な姿を。
「……うそ……」
マジックが私の中から落ち、ワンピースの裾が太ももをはらりと撫でる。
私は身を起こし、慌ててカーテンを閉めた。
けれど、もう遅かった。
すべてが──彼の目に、焼きついてしまっていた。
羞恥と動揺で、しばらく身体が動かなかった。
でも、脈打つ下腹部だけが、まだ熱を持っていた。
どうして。
あんなふうに見られて、なぜ、私はまだ……
震えているの?
それからの数日、私は窓を開けることができなかった。
カーテンは常に閉じたまま。
庭に咲く花も、木漏れ日の揺らぎも、ただの影絵にしか見えない。
私の世界は、あの一瞬──見られてしまった午後を境に、色を変えてしまっていた。
心にこびりついたのは羞恥だった。
けれど、もうひとつ、もっとたちの悪い感情があった。
それは、**“期待”**だった。
彼が、また視線を向けてくれるのではないか。
偶然を装って、何かを問いかけてくるのではないか。
あるいは──私を、女として見てしまったことを、告げに来るのではないか。
私はそんな妄想に飲み込まれながら、ただ時間を持て余していた。
そして──数日後の午後。
インターホンが鳴った。
モニターに映ったその顔を見た瞬間、私の心臓は跳ね上がった。
彼だった。
隣に住む大学生。
名前も知らない、けれど私の最も秘めた姿を知っている男の子。
手には袋を提げていた。
差し入れのようなものだろうか。
けれど、私にはその袋の中身より、彼の“理由”が問題だった。
私は深く息を吸って、玄関のドアを開けた。
「こんにちは……あの、これ、昨日釣ってきたイカなんです。よかったらどうぞ」
そう言って差し出したビニール袋からは、ほんのりと磯の香りがした。
「ありがとう……わざわざ、悪いわね」
声が、わずかに震えていた。
彼の視線が、私の目ではなく、喉元あたりに触れているのがわかった。
白いカットソーの首元は、少し広めに開いていた。
ノーブラではないけれど、軽い素材のブラウス越しに、胸のかたちが透けてしまっていた。
気づいていた。でも、直さなかった。
「この前……ごめんなさい」
彼が口を開いたのは、イカの袋を渡した直後だった。
私が言葉を返すより先に、彼は続けた。
「偶然、ほんとに、通りかかっただけで。そんなつもりじゃなくて……でも」
「でも?」
「忘れられなくて」
その言葉に、私の背中に汗がにじんだ。
喉の奥が、ひくりと鳴った。
「すみません。変なこと言いました。じゃあ、これで……」
彼が帰ろうとした瞬間、私はなぜか、彼の腕を取っていた。
「ちょっとだけ、入ってお茶でも飲んでいかない?」
自分がなぜそう言ったのか、わからなかった。
ただ、心のどこかで、あのとき見られた私に、続きを望んでいる自分がいた。
彼は躊躇いながらも、玄関をくぐり、リビングへと入ってきた。
私は冷たい麦茶を出し、対面のソファに腰を下ろす。
彼は緊張したように背筋を伸ばしていた。
私は逆に、身体が火照っていた。
窓から差し込む午後の光が、二人のあいだの空気を柔らかく照らしていた。
「ねえ、あのとき──どこまで見えたの?」
私は麦茶を口に含んだまま、唐突にそう訊いてしまった。
彼は一瞬、驚いた顔をして、それから視線を逸らした。
「全部……見てしまいました。触れてたところも、動きも、音も……」
「恥ずかしいわね、私、人妻なのに」
「……すごく、綺麗でした」
そのひと言に、胸が痺れるように熱くなった。
言ってしまった。
このまま、戻れなくなる。
でも──その“戻れなさ”を、私は望んでいた。
「……触って、みる?」
その瞬間、彼の瞳が揺れた。
そして、ゆっくりと、私のそばに腰を移した。
私は自分のブラウスのボタンに指をかけ、一つずつ、ゆっくりと外していった。
露わになる下着越しの胸。
その上から、彼の手がそっと重なる。
肌の温度が重なった瞬間、脳の奥にまで火がついたような快感が広がっていった。
彼は指先で、胸のかたちを確かめるように撫で、やがてそっとブラの隙間に指を滑り込ませた。
ふくらみの頂点に触れられた瞬間、私は思わず、息を呑んだ。
「感じてるんですね……」
その言葉に、私は静かにうなずいた。
「あなたのせいよ。全部……見たくせに、何もしてくれなかったんだもの」
その言葉を合図に、私たちは熱に溶けていった。
彼の唇が、胸に落ちる。
指先が、太ももをなぞる。
私はもう、抗うことをやめていた。
だって、身体の奥の疼きは、あの日からずっと、彼を待っていたのだから──
ブラウスを脱ぎ捨てた私の胸に、彼の唇がそっと触れた瞬間──
その柔らかさと、舌の熱に、私は思わず小さな声を漏らしていた。
「ん……だめ……そんなふうに……」
言葉とは裏腹に、私の身体はもう、完全に彼を受け入れようとしていた。
乳首に触れるたび、腰の奥がじんわりと熱を帯びていく。
ふくらみ全体を包むように揉まれ、舌で転がされ、私はすぐに呼吸を乱してしまった。
夫に触れられるときには感じたことのない、この“未知”の感覚。
経験の少なそうな彼の手つきは、ぎこちなくも真っ直ぐで、
その無垢さが、かえって私の中の“本能”を深く揺さぶった。
「……もっと触って」
私は、そう囁いていた。
もう、止まらなかった。
自分の指で、ショーツのゴムにかけた。
そして、そのまま、彼の前で、太ももを伝わせて静かに下ろしていった。
彼の瞳が、私の脚のあいだを見つめている。
羞恥に身体がふるえた。
でも、その羞恥の奥に、確かに快楽があった。
“見られている”という刺激が、あの日と同じように私の奥を疼かせる。
「触れて、いいよ」
私は脚を少しだけ開いて、ソファに深く腰掛けた。
彼の指が、ためらいがちに近づいてくる。
その指先が、熱を帯びた私の中心に触れた瞬間──
「……あ……っ」
声が、反射的にこぼれた。
まだ潤いきっていない場所に、慎重に、ゆっくりと滑り込んでくる指。
その動きが、私の感覚のすべてを攫っていく。
「……やだ……こんな、感じちゃうなんて……」
呟いた私の言葉に、彼は微笑んだ。
そして、自分の膝を床につき、顔を私のあいだに近づけてきた。
「……えっ……そこは……っ」
でも、もう止められなかった。
彼の舌が、花びらに触れ、湿り気を吸い取り、愛の芽を優しく吸う。
「……あ……だめ……っ、それ……っ……感じすぎて……」
舌先が細かく動き、指がゆっくりと私の奥をなぞっていく。
私は脚を震わせ、ソファの縁にしがみつくように、何度も何度も絶頂を迎えていた。
目の端に涙が浮かぶ。
私の中で、なにかが崩れていた。
妻としての自尊心。
良識。
誠実さ。
それらすべてが、快楽の海の中で溶けていった。
やがて、彼が顔を上げた。
「……入れても、いいですか?」
その問いかけに、私は首を縦に振っていた。
彼のズボンが下ろされ、男の象徴が姿を現す。
まだ若く、熱と期待で脈打っていた。
私は自分の手で、コンドームを取り出し、彼のものに静かに被せた。
その行為さえも、どこか官能的で、
「誰の妻であるか」より「誰の女であるか」を私に問いかけてくるようだった。
彼が私の上に覆いかぶさる。
肌と肌が触れ合い、彼の熱が私に重なる。
そして、ゆっくりと──
「……んっ……あ……」
身体の奥へ、入ってくる。
異物感とともに広がっていく熱。
満たされていく感覚が、私の背骨を震わせた。
動きはゆっくりだった。
ぎこちない、でも誠実な律動。
私の腰が自然と彼に応え、音もなく繋がりのリズムが生まれていく。
「……気持ちいい?」
彼の囁きに、私は頷きながら、手を彼の首に回していた。
「あなたに、壊されてもいい……そんな気がしてる……」
その言葉は、本心だった。
汗が混ざり、息が交わり、
彼の奥にあるものが、私の奥へ届くたび、
「女であること」の実感が、すべての罪悪感を上書きしていった。
私は何度もイった。
彼も、最後には抑えきれずに果てた。
しばらく、二人は黙ったままソファに並んで座っていた。
静寂のなかで、私の鼓動だけが、まだ高鳴りを残していた。
「……本当に、ごめんなさい」
彼がポツリとつぶやいた。
「ねえ」
私はその言葉を遮るように言った。
「また……来てくれる?」
そう尋ねる私の声が、いちばん正直だった。
そして私は──
また、誰にも見せたことのない私の扉を、彼だけに開こうとしていた。



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