パワハラ相部屋NTRみんな大嫌いな昭和オジサン上司に一晩中ずっとイカされる粘着SEX 浜辺やよい
【第1部】令和OLと昭和上司──出張先のビジホで始まった「相部屋」の違和感
「相部屋、って……どういうことですか?」
フロントのカウンター越しに差し出された宿泊カードを見たとき、頭が一瞬だけ真っ白になりました。
出張先の地方都市。駅前の、小さなビジネスホテル。
会社からの出張は何度も経験してきたけれど、「上司と相部屋」という文字だけは、想像したこともなかった。
「悪いな、手配ミスらしいんだ。今日は満室で、部屋がもうないってさ」
横で腕を組んだまま、私の上司・佐伯課長がため息をつきました。
五十代半ば、ネクタイはいつも昭和感のあるストライプ。
口を開けば「最近の若いもんは」「オレらの頃は」が口癖で、部署の若い子たちからは陰で「昭和オジサン」と呼ばれている人。
そのあだ名を最初に口にしたのは、たぶん私だったと思います。
「さすがに、男性と相部屋はちょっと……」
そう口にすると、フロントのスタッフは申し訳なさそうに首をすくめました。
「本当に申し訳ございません。本日はイベントと重なっておりまして、近隣のホテルもほぼ満室で……」
少し離れたロビーのソファでは、大学生らしきグループが楽しそうに笑っていて、その明るさが逆に目障りに感じられました。
ここで駄々をこねても、状況は変わらない。
それは、社会人になってから嫌というほど身につけてしまった現実感覚でした。
「大丈夫だ。お互い大人だし、ベッドはちゃんとツインだろ? オレ、先に風呂入ってさっさと寝るから」
そう言って課長は、慣れた手つきで宿泊カードにサインをしました。
「大人だし」という言葉が、私には妙に引っかかりました。
大人だから、何をしてもいいのだろうか。
大人だから、嫌なものも飲み込まなきゃいけないのだろうか。
部屋に入ると、白いシーツが張られたベッドがふたつ。
予想していたとおりの、ごく普通のビジネスホテルのツインルームでした。
「お前、こっち使え。ドアから遠いほうが落ち着くだろ」
課長は自分のスーツケースを窓側に運びながら、私のキャリーケースをもう一方のベッドの横に置いてくれました。
その仕草が、少しだけ意外でした。
会社ではいつも、強い言葉で人を押し切っていくタイプの人なのに。
「とりあえず、メシにするか。明日の資料、もう一回だけ目を通したいしな」
時計を見ると、夜の七時を回ったところ。
地方都市の冬の夜は、東京よりも早く暗く、どこか空気が冷たく澄んでいる気がします。
エレベーターに乗り込むとき、課長のスーツからふわりと漂ったタバコと整髪料の匂いに、私はそっと息をひそめました。
その匂いが嫌いなわけではない。ただ、あまり近くで嗅ぎたくない匂い。
彼氏がつけている、爽やかなシトラス系の香水とは、まるで違う世界の匂いでした。
――今日は早めに食べて、早く寝よう。
――課長が寝たら、イヤホンで動画でも見て、目だけでも別の世界に逃がそう。
そんなことを考えながら、私はエレベーターの数字が減っていくのをぼんやりと眺めていました。
仕事自体は、嫌いではありません。
営業事務と企画の中間のような仕事で、数字を追いながら、企画書を作り、プレゼン資料を整えていく。
「便利な子」として使われている自覚はあるけれど、それでも自分がいなければ回らない仕事があるという感覚は、ささやかな自尊心になっていました。
ただ、ふとした瞬間、胸の奥が空っぽになることがあります。
彼氏とのデート中、手をつなぎながら歩いていても、会話が何度も同じ場所をぐるぐる回っている気がしてしまう夜。
ベッドの上で、同じ形のキスと、同じリズムの動きが繰り返されるとき。
「好きだよ」と言われても、その言葉に体が反応しなくなっている自分に気づいてしまう瞬間。
――私、何を求めているんだろう。
そんな問いを、心のどこかでずっと抱えたまま、私は日々をこなしていました。
ホテルの一階にある小さな居酒屋で、私たちはカウンター席に並んで腰を下ろしました。
テレビの中では、バラエティ番組が笑い声を垂れ流していて、焼き鳥の煙が薄く漂っています。
「おつかれ」
課長が差し出したジョッキと、自分のグラスを軽く合わせました。
ビールの泡が、喉の渇きをなぞるように落ちていきます。
「お前、今日のプレゼン、なかなかよかったぞ」
不意にそう言われて、私は一瞬、返事に詰まりました。
「……珍しいですね。課長に褒められるなんて」
「オレはいつも本当のことしか言わん。ダメなときはダメって言うし、よかったらちゃんと褒める」
そう言って笑ったときの横顔は、職場で部下を叱り飛ばしているときの顔とは、少し違って見えました。
深く刻まれたほうれい線の奥に、別の時間が折りたたまれているような表情。
「……まあ、昭和のやり方かもしれんがな。キツいと思ってるだろ」
からかうような口調で言われて、思わずビールを吹き出しそうになりました。
「思ってます」
正直に答えると、課長は「だろうな」と笑いました。
「けどな。オレらの世代ってのは、怒鳴られて、殴られて覚えてきたんだ。
それがいいとは思ってない。ただ、それしか知らないまま、上に上がっちまった」
ビールジョッキの内側についた泡を指でなぞりながら、課長はぽつりぽつりと言葉を落としていきます。
その声を聞きながら、私は今まで知らなかった一枚のレイヤーを見せつけられているような気分になりました。
職場では「昭和オジサン」として笑い飛ばしていた人が、本当は何を考えていたのか。
私たちが面倒くさがっている「説教」の裏側に、どんな不器用さが隠れていたのか。
その夜、私の中で「嫌いな上司」というラベルが、ほんの少しだけ揺れました。
【第2部】嫌いなはずの上司の手が、なぜか熱く感じた──揺らぎ始めた境界線の夜
部屋に戻ると、窓の外には小さな地方都市の夜景が広がっていました。
ネオンの数は少なくて、駅前のロータリーの街灯だけが、ぽつぽつと湿ったアスファルトを照らしています。
「風呂、先入ってこいよ」
課長はそう言って、ベッドに腰を下ろしました。
ネクタイを緩め、上着を脱ぐその動作に、私はなぜか目をそらせなくなっていました。
――なんで、見てるの。
自分で自分に問いかけながら、慌ててバスルームに向かいます。
狭いユニットバスに湯を張り、シャワーを浴びながら、さっきの会話を何度も頭の中で巻き戻しました。
「怒鳴られて、殴られて覚えてきた」
「それしか知らないまま、上に上がっちまった」
湯気の中でその言葉を反芻していると、胸の奥がじわじわと熱くなっていくのを感じました。
怒鳴る人間の弱さ。
強く見せなければ、誰にも認めてもらえない世代の不器用さ。
「……ずるい」
小さく呟いてしまったのは、そのときでした。
ずるい。
そうやって自分の傷をちらりと見せられると、単純に「嫌い」と切り捨てることができなくなるから。
湯船から上がり、バスタオルで身体を拭きながら、鏡に映る自分を見つめます。
濡れた髪が首筋に張りつき、湯あたりでほんのりと頬が赤くなっている私。
「……彼氏、見たらなんて言うかな」
そう呟いて、口元に浮かんだ苦笑を、自分で叩き落とすようにタオルで拭いました。
この出張が終わったら、彼と一緒にいつもの居酒屋に行く約束をしている。
仕事の話を聞いてもらって、愚痴をこぼして、いつものように「がんばってるね」と頭を撫でてもらう予定の私。
だけど今、頭の中を占めているのは、ロビーで私のキャリーを運んでくれた課長の、不器用な手つきでした。
ライトグレーのスウェットを着て部屋に戻ると、課長はすでにシャツを脱ぎ、白いTシャツ姿でベッドの端にもたれていました。
テレビからは音が消され、画面だけが無音でニュースを映し出しています。
「悪いな、タオル借りた」
課長はそう言って、自分の濡れた髪をゴシゴシと拭いていました。
思っていたよりも、髪には白いものが多く混ざっていて、その一本一本が妙に目に残りました。
「……課長、奥さんとは、うまくいってるんですか?」
自分でもなぜそんなことを聞いたのか分かりません。
けれど、気づいたときにはもう、言葉が口を滑り落ちていました。
「ん?」
タオルを止めて、課長はこちらを振り向きます。
狭いツインルームの空気が、急に濃くなった気がしました。
「いえ……なんとなく、その……」
ごまかそうとしたとき、課長は小さく笑いました。
「うまくいってるように見えるか?」
「……正直、よく分かりません」
「だろうな。オレも分からん」
そう言って、課長は天井を見上げました。
まるで、そこに答えが書いてあるかのように。
「結婚して二十年以上経つと、まあ、いろいろある。
子どもが家を出て、気づいたら同じ家に『他人』が二人住んでるみたいな感じだ」
「……寂しくないんですか?」
気づけば、私は床に座り込んでいました。
ベッドとベッドの間、茶色いカーペットの上。
課長のベッドの端に背中を預けるようにして、彼の声を下から見上げて聞いていました。
「寂しいか、どうか、考えないようにしてきた。
考えたら、仕事ができなくなるからな。オレは仕事しか取り柄がないから」
短く吐き出されたその言葉が、部屋の中でゆっくりと沈んでいくのを感じました。
その沈黙に耐えきれなくなって、私は思わず自分のことを話し始めていました。
彼氏のこと。
最近、会話が薄くなってきていること。
優しいけれど、どこか「当たり前」になってしまっている日々のこと。
「私、ちゃんと大事にされてると思うんです。
けど……女として見られてる感じは、あんまり、しなくて」
語尾が消え入りそうになったとき、背中に、温かいものが触れました。
課長の手でした。
「……お前は、女だよ」
低く掠れた声が、すぐ後ろから降ってきます。
背中に添えられた手は、強くも弱くもない、ぎこちない力加減で、ただそこに置かれているだけでした。
「だって、お前みたいな子がいなきゃ、ウチの部署はとっくに回らなくなってた。
仕事もできるし、気も利くし、空気も読む。
それなのに……」
一度言葉を切り、課長は小さく息を飲みました。
「それなのに、自分のことは全然、大事にしてない顔をしてる」
背中越しに伝わる体温が、すこしずつ私の中に染み込んでいくようでした。
「自分を大事にしてない顔」。
それは、これまで誰にも言われたことのない指摘でした。
「か、課長には、関係ないですよ」
そう言おうとしたのに、喉がきゅっと詰まってしまって、声がうまく出ませんでした。
その代わりに、喉の奥から、くぐもった音が漏れます。
「……っ」
自分でも聞き慣れないその音に、思わず自分の口元に手を当てました。
こんな声を、誰かに聞かれたくない。
ましてや、目の前のこの人には。
けれど、課長の手は離れませんでした。
ただ、そっと力を込めて、私の背中を撫でるように動きます。
「嫌なら、言え」
耳元で低く囁かれて、全身がびくりと震えました。
嫌なら、言えばいい。
その選択肢が目の前に差し出されているのに、私はなぜか、その言葉を口にできませんでした。
――嫌、なはずなのに。
頭のどこかでそう繰り返しながら、私は目を閉じました。
閉じたまぶたの裏側で、会社のデスク、彼氏の笑顔、今日のプレゼン資料、いろんな画像がぐるぐると回転します。
「……課長」
やっとのことで絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていました。
「何だ」
「……その手、あったかいですね」
自分でも意味の分からない言葉でした。
けれどそれは、確かにあの瞬間の私の、本音でした。
その言葉を聞いたとき、課長の指先が、ほんの少しだけ震えるのを、私は背中越しに感じました。
そして、次の瞬間。
世界が、ゆっくりと傾きました。
気づくと、私はベッドの上に仰向けになっていて、見慣れた天井の白い模様が、いつもとは違う角度から視界に広がっていました。
顔のすぐそばには、課長の影。
近すぎる距離。
息と息がぶつかり合うほどの近さで、互いの目が絡み合います。
「……ダメ、ですよね」
自分でもよく分からない言葉が、また唇から漏れました。
ダメだと分かっている。
彼氏の顔が、脳裏のどこかで小さく笑っている。
それでも。
「ダメだ」
課長はそう言いながらも、目を逸らしませんでした。
「ダメなんだけどな……」
掠れた声の余韻が、私の唇のすぐ上で揺れます。
唇と唇が触れ合う瞬間、私はもう、何も考えていませんでした。
【第3部】彼氏では満たされなかった渇き──上司の腕の中で「女」になった私
最初のキスは、驚くほど不器用でした。
若い頃にたくさん恋愛をしてきた人の、それではない。
ぎこちなく、恐る恐る、ぶつけ合うような唇。
それでも、そこに宿っていたのは、明らかに「上司と部下」という関係性からはこぼれ落ちる種類の熱でした。
「……っ、やだ」
唇が離れた瞬間、私は反射的にそう呟いていました。
やだ、と言いながら、肩に置かれた手を払いのけることはしませんでした。
「やだ、か」
課長は苦笑するように言いました。
すぐにそう続けられて、胸の奥がきゅっと締めつけられました。
やめる。
今ならまだ、引き返せる。
ここで止めれば、明日からまた、何もなかった顔で仕事に戻ることができる。
――本当に?
心のどこかから、別の声が囁きました。
何もなかった、ことに、できる?
この体の熱を、なかったことにして、また彼氏の隣で「普通の彼女」を演じることが、本当にできるのか。
「……やめるって、課長は、平気なんですか」
自分でも驚くような言葉が、私の口から滑り落ちました。
「平気かどうかなんて、分からん」
課長は、少しだけ目を細めました。
その横顔は、さっき居酒屋で見たときよりも、ずっと弱々しく見えました。
「ただ、お前が後悔する顔だけは、これ以上見たくない」
「私、後悔なんて……」
言いかけて、言葉が途切れました。
後悔なんてしていない、と言い切れない自分がいる。
後悔どころか、むしろ、自分からこの状況に飛び込んでいっているような自分がいる。
「……私、もうとっくに、いろいろ後悔してますよ」
天井を見上げたまま呟いた言葉に、自分でも驚くほどの本音が混じっていました。
「ちゃんと大事にされてるのに、どこかで満たされないって思ってしまうことも。
仕事、頑張れば頑張るほど、『女』であることを薄めていってる感じがすることも。
ほんとは、誰かにひどい顔で求められたいのに、そんな自分を認めたくないことも」
そこまで言ったとき、視界がぼやけていることに気づきました。
いつの間にか、涙が滲んでいたのです。
「……ひどいこと、言うな」
課長の声が、すぐ側で震えました。
「そんなふうに、正直に全部言われたら、オレ、我慢できなくなるだろ」
次の瞬間、世界がまた、音を失いました。
髪を撫でる指先。
首筋に落ちる熱い息。
シーツの上で絡まり合う影と影。
どこまでが現実で、どこからが夢なのか分からなくなるくらい、感覚だけが研ぎ澄まされていきます。
「っ……や、だ……」
喉の奥から漏れた声は、自分のものとは思えないほど掠れていました。
やだ、と言いながら、シーツを掴む指先は、課長の腕にしがみついています。
「大丈夫だ。やめてほしかったら、ちゃんと言え」
耳元で囁かれるその言葉が、何度も何度も私の中に刻み込まれていきました。
嫌なら、言えばいい。
でも私は、その言葉を最後まで言えなかった。
代わりに、何度も何度も、別の言葉を零しました。
「……もっと」
自分で言っておきながら、その一言で、自分の中の何かが決定的に変わってしまったのを感じました。
彼氏には見せたことのない顔。
職場の誰にも見せたことのない声。
「できる部下」としての私から、ただの「女」としての私へと、何かが少しずつ剥がれ落ちていく感覚。
どれくらいの時間が経ったのか分かりません。
窓の外の街灯が、何度も何度も視界の端を流れていき、そのたびに体の奥で何かが波打ちました。
最後にふっと力が抜けたとき、私は自分の呼吸の荒さに驚きました。
胸が大きく上下していて、喉は乾いているのに、全身は汗ばんでいる。
シーツの皺が、さっきまでの出来事の痕跡として、静かに残っていました。
「……大丈夫か」
耳元でかすかにそう聞かれて、私は小さく頷きました。
言葉にしたら、何かが壊れてしまいそうだったから。
「課長のせい、にしていいですか」
やっと搾り出したのは、そんな言葉でした。
「は?」
驚いたような気配が、すぐ側で動きます。
「今日のこと、全部。
本当は、最初から私もそういう目で見てたくせに……
それを認めるのが怖くて、『パワハラ上司に無理やり相部屋にされて』って、被害者ぶってもいいですか」
自嘲混じりのその告白に、課長はしばらく黙っていました。
やがて、小さく息を吐く音がして、私の額に、不器用なキスが落ちてきました。
「……いいぞ」
低い声が、額に触れた唇越しに響きます。
「オレは、いくらでも悪者でいてやる。
そうでも思わなきゃ、こんなこと、できなかったからな」
その言葉に、胸の奥がひゅっと痛みました。
「でもな」
課長は続けました。
「どんなに悪者扱いされてもいいけど……
お前が、『女』として笑えるようになるなら、そのほうがいい」
部屋の明かりは消され、カーテンの隙間から、遠くの街灯の光が細く差し込んでいました。
その淡い光の中で、私は自分の手のひらを見つめます。
彼氏の手を握るためにあると思っていたこの手が、今は別の誰かの胸元の布を握りしめている。
その事実が、恐ろしくて、同時に、どうしようもなく甘美でした。
「……課長」
「ん」
「私、きっと、後悔します」
やっとのことで言葉にすると、課長の肩がわずかに揺れました。
「そうだろうな」
「でも……今日のこと、忘れられないと思います」
そう告げると、課長は何も言いませんでした。
代わりに、腕の中の私を、静かに抱き寄せる力だけが、少し強くなりました。
外では、遠くの踏切の音がかすかに鳴っています。
行き先の違う電車が、同じ線路を分け合いながら走っていく音。
あの夜、私はひとつの線路から、もうひとつの線路へと、そっと乗り換えてしまったのかもしれません。
まとめ【出張先の相部屋で上司と一線を越えた夜から学んだこと】
あの夜から、もう何か月も経ちました。
出張から戻った翌日も、いつも通りの朝がやってきて、いつも通りの電車に揺られ、いつも通りのデスクに座りました。
課長も、いつも通りの調子で部下を叱り、時々笑い、仕事を回していました。
何も変わっていないように見える日常の中で、変わってしまったものは、私の内側にだけひっそりと潜んでいました。
彼氏とは、まだ別れていません。
彼の前では、できるだけ今まで通りの私でいるようにしています。
手をつなぎ、映画を見て、夕飯を食べて、「楽しかったね」と笑う。
けれど、ふとした瞬間に、あのビジネスホテルの白い天井が、ふと脳裏に浮かぶことがあります。
あの夜の、自分の呼吸の荒さ。
課長の不器用な手。
「自分を大事にしてない顔」と言われたときの、胸の痛み。
裏切りは、いつもドラマの中の出来事だと思っていました。
「悪い男」に騙されて、「かわいそうな女」が泣きながら堕ちていく、分かりやすい物語の一種だと。
でも現実の裏切りは、もっと静かで、もっと曖昧で、もっと自分勝手なものなのだと思います。
誰かに強引に押し倒されたからでも、状況に流されたからでもない。
自分の中の渇きに気づいてしまった瞬間、そこに手を伸ばしたのは、紛れもない自分自身でした。
「パワハラ上司に寝取られたかわいそうな彼女」
そういう物語にしてしまえば、私はきっと楽だったはずです。
相部屋という状況のせいにして、昭和的な男のずるさのせいにして、自分を被害者席に座らせておくこともできた。
でも、あの夜の記憶を何度もなぞるうちに、私はだんだんと別の事実を認めざるをえなくなりました。
――あれは、私が、自分の意思で選んだ夜だった。
彼氏では満たされなかった渇きを、上司の腕の中に持ち込んだのは私。
「女として扱われたい」という欲望を、最初に言葉にしてしまったのも私。
そして、「もっと」と口にして、自分の身体の奥に眠っていた何かを目覚めさせたのも、私自身でした。
人は、誰かを裏切るとき、同時に自分をも裏切ります。
「私はこんなことをする人間じゃない」と信じていた自分像を、音もなく踏み越えていく。
その瞬間、私たちは、自分でも見たことのない顔を、きっとしているのでしょう。
あの夜の私は、きっと、とても醜くて、とても美しかったのだと思います。
彼氏と、課長と、そして私自身。
誰が一番悪いのかと聞かれたら、私は今でも答えに詰まります。
ただひとつ言えるのは、「悪い」という言葉だけでは、あの夜のすべてを捉えきれない、ということ。
あの夜、私は初めて、自分の中にある「女としての私」と真正面から向き合いました。
きれいに整えられた恋愛のシナリオからはみ出した、歪で、欲深くて、どうしようもない私。
その存在を、私はもう、なかったことにはできません。
出張の精算書を提出するとき、課長はいつも通りの表情でハンコを押します。
その横顔を見るたびに、私は一瞬だけ呼吸を止めてしまいます。
けれど、彼は何も言いません。
私も、何も言いません。
ただ、あの夜のことは、互いの体温のどこかに、静かな烙印のように残り続けている。
それが、裏切りの代償なのかもしれません。
この体験談をここまで読んでくれたあなたに、ひとつだけ伝えたいことがあります。
人は誰でも、自分で気づいていない「渇き」を抱えて生きている。
その渇きがどこかで「見つけられてしまう」瞬間、
人は驚くほど簡単に、一線を越えてしまうことがある――ということを。
あの夜、私は上司の腕の中で、「女」としての自分の輪郭を初めて触った気がします。
それが正しいかどうかは、今でも分かりません。
けれど、その感覚を知ってしまった私は、もう二度と、あの夜の前の私には戻れない。
出張先の相部屋で一線を越えた夜。
あれは、私が「誰かの彼女」であることをやめて、「私自身」として目を覚ましてしまった夜でもあったのだと――
今は、そう思っています。




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