ふとした瞬間に、自分が「誰かに見られている」と感じることがある。
それがたとえ、息子の友人の視線だとしても。
いや、だからこそ──私は、自分のなかに潜んでいたものを、暴かれたのかもしれない。
──
「こんにちは、お邪魔します」
涼やかな声とともに、玄関から彼の声が聞こえた。
「どうぞ、あがって。いつもありがとうね、翔太の勉強見てくれて」
私はキッチンから顔を出し、軽く頭を下げた。
大学生の優斗くん。息子の親友で、よく我が家に遊びに来る青年。育ちがよくて、礼儀正しくて、でもどこか無防備なまなざしを持った、あの年頃の男の子。
あの日も、私は何気なくTシャツの上にカーディガンを羽織り、いつも通りの主婦としてキッチンに立っていた。
けれど──彼の視線は、私の腕、首筋、そして何より…背中に滲んだ汗の粒に、吸い寄せられている気がして、鼓動が不意に高鳴った。
台所の小窓から差し込む午後の光が、私の肌に透明なベールのようにかかっていた。
それが、いけなかったのかもしれない。
「お茶、いる? 冷たいほうがいいよね」
私は何気ないふりで、背中を向けてグラスを取り出した。だが、なぜか…下着の透ける感覚を意識してしまっていた。
カーディガンの裾が少しずれて、背中のラインが露わになったのがわかる。少しだけ、汗ばんで、布地に貼りついていた。
そのとき、確かに、彼の気配が変わった。
息を呑むような間があった。何かを飲み込んだような静寂。
「…あ、じゃあ、冷たいのでお願いします」
彼の声がわずかに掠れていた。
その一瞬が、私の中の何かを、揺らした。
──
それから数日後、私はひとり、洗濯物を取り込んでいた。
翔太は部活で遅い。
でも、優斗くんのスケジュールは、なぜか私の脳裏に残っていた。
「今日は…図書館、って言ってたっけ」
誰に話すでもなく呟いて、自分が彼の予定を覚えていたことに、背筋がゾクリとした。
それでも──私の指先は、自然に、身体をなぞっていた。
夏の日差しに火照った肌に、シャワーを浴びたあとの滑らかな指が触れたとき、私はひとり、静かな午後に包まれて、そっと脚を開いた。
レースの下着が汗でぴったりと貼りつき、指先が触れるたびに、身体はかすかな震えを帯びる。
目を閉じると、なぜか浮かぶのは──彼のまなざし。
あのとき、キッチンで私の背中を見ていた、あの静かな、でも熱のある眼差し。
私が女として、まだ「見られる存在」であること。
その事実が、身体の芯を熱くさせる。
くちゅ…と、音が漏れた。
反射的に目を開けると──
そこに、彼が、いた。
──優斗くん。
息を呑んだ私の目の前で、彼は、ただ立ち尽くしていた。
玄関のドアは、開いていた。
彼の顔は、驚きと、迷いと、何か…もっと深い、欲望に似たものが浮かんでいた。
私は咄嗟に足を閉じ、スカートを下ろした。
「見ないで…!」
震える声でそう言ったのに、私は──手を、止めていなかった。
彼の視線を感じながら、私はまだ、そこに、指を添えたままだった。
なぜ、止めなかったのだろう。
羞恥と快楽が交錯して、涙が滲んだ。
でも、身体の奥から湧き上がるものを、もう抑えられなかった。
優斗くんは、動かなかった。
いや、動けなかったのかもしれない。
私は、彼のその眼差しのなかで、堕ちていった。
──
後日。
彼は、何も言わなかった。
私も、何も聞かなかった。
あの日以来、彼は以前と同じように、息子の部屋に通ってきた。
でも、たまに、ふいに私の顔を見て、目を逸らすことがある。
そのたびに、私は思い出す。
あの午後──静かな陽射しと、汗ばむ肌と、扉の隙間から差し込んだ視線。
私はたしかに「見られ」、そして「ほどけた」。
それは、罪だった。
でも、同時に…女としての私が、眠っていたものが、目を覚ました瞬間でもあった。
私はまだ、誰かに見られたいと、願っていた。
──それは、ずっと奥にしまっていた、私の本性だったのかもしれない。
あの日から、私は毎日を淡々と過ごしているふりをしていた。
朝食をつくり、洗濯物を干し、近所のスーパーに行って、レジ袋を肩に下げて帰る。
夫は単身赴任で不在。息子は相変わらず反抗期で、まともに目を合わせることすら減った。
でも、私の内側だけが──まだ、あの午後に閉じ込められたまま、熱を持ち続けていた。
そして今日も、あの音がした。
玄関のチャイム。軽く、間を置いた二度押し。
優斗くんの癖だ。
「こんにちは、おじゃまします」
その声を聞くたびに、私は身体のどこかに小さな痛みのような疼きを覚える。
「いらっしゃい。翔太は、今日は少し遅れるって」
「……そうなんですか」
廊下を歩く足音が、少しだけためらいがちだったのは、私の気のせいじゃない。
キッチンカウンター越しに、私は彼の横顔を見た。
俯きがちだった彼の視線が、ふと、私の指先に留まる。
私は洗ったグラスの水滴を布巾で拭っていた。
なぜだろう。そのしずく一滴が、まるで…彼の視線を誘うように、艶やかに揺れた。
沈黙が落ちる。
水音だけが、部屋に響いた。
「……この前のこと、」
彼の声が、破れた紙のように震えていた。
私はグラスを置いた。胸の奥が、ざわり、と揺れた。
「何も言わないって、思ってたのに」
そう言った私の声もまた、微かに揺れていた。
彼はゆっくりと顔を上げた。その瞳の奥に、たしかにあったのは、戸惑いではなかった。
欲望。迷い。そして──私と、同じ熱。
「忘れようとしたけど…無理でした」
私は、目を逸らせなかった。
年下の青年が、こんなにも真っ直ぐに、ひとりの女を見つめるなんて。
「…翔太が戻るまで、あと30分あるわ」
私は囁いた。
まるで、自分の口から出た言葉とは思えなかった。
それでも──身体はすでに、動き始めていた。
リビングのカーテンを半分だけ閉める。
光がやわらぎ、部屋に影が落ちる。
優斗くんの手が、私の手にそっと重なった。
その瞬間、心臓が跳ねた。まるで初めて男に触れられた少女のように、私は震えた。
彼の指先は、恐る恐る私の手の甲をなぞり、そしてそっと、私の頬に触れた。
「ダメよ…こんなこと」
そう言いながら、私は顔を近づけていた。
彼の唇が、私の下唇に触れたとき、世界がすっと静かになった。
時計の針の音さえ、遠くに消えていく。
柔らかく、熱い舌先が私の口内をたどり、私は小さく吐息を漏らした。
そして──私は彼の手をとり、自分の脚のあいだに導いた。
スカートの奥、うすく濡れたレース越しの感触に、彼の手が触れたとき。
「ん…っ」
熱が、下腹部から一気に広がっていった。
恥ずかしいくらい、私の身体はもう、彼を受け入れる準備をしていた。
リビングのソファに押し倒されるように横たわりながら、私は彼の上着のボタンを一つずつ外していった。
その指の動きに、彼は唇を震わせ、私の首筋に顔を埋めた。
汗ばむ肌と肌が触れ合い、吸い寄せられるように、お互いの熱が溶けていく。
「優斗くん…そんなに、見ないで…」
でも彼は、見ていた。
私の奥にあるものまで、透かすように。
私はそれに耐えられず、目を閉じた。
けれど──次の瞬間、彼の手が私の下着を抜け、直接、そこに触れた。
「やっ…だめ…そんな、激しく…」
言葉とは裏腹に、身体は溶けていった。
くちゅ、くちゅと、情けない音を立てながら。
私は女としての自分が、剥き出しになっていくのを感じていた。
彼の熱が、私の中に入り込んできたとき、世界が反転するような快感が私を包んだ。
「…あっ、あぁ…優斗くん…」
私は何度もその名前を呼びながら、身体を揺らした。
──
終わったあと、私は彼の肩に顔を埋め、静かに呼吸を整えていた。
リビングにはまだ、午後の光が淡く残っていた。
静けさが戻ってくる。
時計の針が音を立て、現実が少しずつ近づいてくる。
「ねえ」
私は彼の胸に顔を寄せたまま、そっと言った。
「今のこと…きっと、忘れないわ。でも、繰り返さない」
彼は何も言わなかった。
ただ、私の髪にそっと手を置いた。
私は、女として、愛された。
たとえ一瞬だったとしても。
そしてその悦びは、誰にも知られぬまま、私の奥にそっと棲みついた。
──見られたことで、私はほどけた。
触れられたことで、私は赦された。
そして今日も、私は、主婦としての顔を貼りつけて、キッチンに立つ。
けれど、その奥で──本性は、まだ、静かに、熱を灯している。



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