娘が家を出てから、私の時間は静かに、けれど確実に変わっていった。
誰かのために用意していた食卓、整えた部屋、季節に合わせて買い替えていた寝具。そうしたものがぽっかりと空いたとき、私はようやく、自分の空白に気づいたのかもしれない。
最初に気づいたのは、鏡の中だった。
白く整った膝──そこに視線が吸い寄せられるのを、自分で意識してからだった。
四十を越えてなお、私の膝は、驚くほどなめらかだった。子どもがいたとは思えないほど、張りと丸みが残り、かつて夫にさえ褒められた部位。けれど長いこと「それは過去のこと」と思い込んで、隠して生きてきた。
だけど――その膝を、恋の入口に変えたのは、彼だった。
美容院で初めて彼に出会った日。
担当のスタイリストが急遽休みとなり、アシスタントの彼――隼人くんが代わりに対応してくれることになった。
「失礼します」
そう言って差し出された手には、微かな震えと、若さ特有の温もりがあった。年齢は娘と同じ、二十歳。ふとした瞬間に目が合い、はにかんで逸らすその仕草は、危ういほど無垢で、それでいて私の奥に眠っていた“女”の感覚を、ほんのわずかに撫でた。
最初のブローのとき、彼が私の膝にふと目を留めて言った言葉を、今でも鮮明に覚えている。
「……きれいな膝ですね」
その一言が、私の中で、乾いた地面にひと雫落ちた雨のように、静かに、でも深く沁みていった。
それから私は、彼の「ヘアモニター」となった。
毎週のように通い、セットされる髪と、彼の視線を楽しみにするようになっていた。
メールは毎晩届いた。
「今日は紀子さんのこと、ふと思い出しました。
膝、まだきれいかな」
そんな風に、わざとらしくもない、けれど私の女としての輪郭をなぞるような言葉。私はいつの間にか、その文字に微笑むようになっていた。
年明け、初詣に誘われた。
彼は言った。
「紀子さんの膝、冬も見ていたいんです。お願い、スカートにしてもらえますか」
冬の風の中で、膝上のスカートに素足。そしてブーツ。
私は震えながらも、彼のために脚を出していた。
凍えるような空気のなか、彼がそっと私の手を握り、「寒くないですか」と訊いたとき、手よりも、心があたたまった。
そして――私の42歳の誕生日。
彼はその日、美容室を休んでくれた。
車で迎えに来てくれた彼は、私をデパートへと連れて行き、迷いなくランジェリーコーナーへと歩いた。
「今日は、紀子さんの“女”をプレゼントしたいんです」
赤でも黒でもなく、彼が選んだのは、白。まるで膝の色と同じ、無垢の象徴。
その下着を手渡され、買ってもらう瞬間、私は羞恥の中に悦びを感じていた。
まるで、身体の奥の何かが、「これが恋だ」と囁いたように。
駐車場に戻る車内で、彼がぽつりと呟いた。
「……履かせてあげたいな」
それがどれほど淫靡で、どれほど美しい提案だったのか、私はその時、はっきりと理解していなかった。
けれど、彼に手を引かれるまま、誰もいないトイレへと進んだ。
個室で、私は向こうを向いて立ち、彼がそっとスカートの裾から手を差し入れてきた。
滑るように上がる指が、太腿の内側をなぞり、今履いているランジェリーの端をつまんで引く。
「ちょっと、失礼しますね」
その言葉に、羞恥と興奮が入り混じり、私は震えながら頷いた。
ブーツを脱がせ、新しい白いランジェリーを足先から通し、膝の上で一度止め、そこにそっと口づけられた瞬間。
「ここが、好きです」
低い声でそう言われたとき、私は完全に崩れ落ちそうになった。
唇、首筋、耳。
背中に沿って這い下りる指と舌。
そして膝。
膝からゆっくりと開いていく足。
彼はその間に膝を落とし、まるで神聖な儀式のように、私の内側を確かめ始めた。
舌が、花びらのように閉じた私の奥を、そっと撫でる。
「あ……や……」
声にならない吐息が漏れる。
彼は、その奥の奥へ、舌をゆっくりと、丁寧に、何度も何度も沈めていった。
私は、自分が女であることを思い出していた。
生々しく、濡れて、熱く、心まで解けていく感覚。
背中を丸め、指を絡め、そして――私は彼の舌の中で果てた。
その夜、彼の腕の中で三度、抱かれた。
彼は、硬く、長く、優しく、そして容赦がなかった。
「大丈夫ですよ、俺が全部抱えますから」
その言葉に、私は子どものように泣いた。
朝、目覚めた時。
私の膝の上には、うっすらと赤い痕があった。
キスの跡。
「また見せてくださいね、俺の好きな膝」
と彼は笑った。
私は恋をしています。
たしかに年齢は離れている。娘と同じ年の彼に、私は恋をしている。
けれど――身体が、心が、それを否定しようとしない。
それどころか、喜び、潤い、開いていくのです。
もう、私は“母”としてではなく、“女”として咲いていい。
白い膝の上に、恋の花が咲いた春。
それは、私がもう一度人生を始めるための、最初の一歩だったのです。



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