42歳。整体師として働く私は、綾香(あやか)。
今年、息子が所属する少年野球チームの保護者代表を引き受けることになり、夏合宿にも同行することになった。
場所は、山あいの古びた温泉旅館。自然に囲まれ、澄んだ空気が胸いっぱいに広がる静かな場所だった。子供たちは朝から晩まで練習に明け暮れ、大人たちは夜になると宴会で疲れを癒す。そんな恒例の流れに、私も初めて加わることになった。
その夜──
浴衣姿の大人たちが畳の宴会場に集まり、ざわついた空気の中でお酌がまわる。笑い声、ビールの栓を抜く音、唐揚げの湯気。どこか懐かしくて、けれどどこか、胸が落ち着かない。
「綾香さんって、整体師なんですよね?」
そう声をかけてきたのは、大学生コーチの隼人(はやと)くんだった。
22歳。体育学部に通う彼は、春からチームに加わったばかり。すらりと伸びた手足、焼けた肌、端正な顔立ちにまだ幼さの残る笑顔。息子たちの信頼も厚く、母たちの間でもちょっとした話題になっていた存在だった。
「肩、やばいんです。張ってて張ってて……綾香さんに、お願いできないですか?」
からかい混じりに言ったその一言に、大人たちがすぐに乗っかった。
「いいじゃん、やってあげなよ!整体師なんだから!」
「酔いもさめるって〜、オイルある?」
酒席の軽いノリ。断れるはずもなかった。私は笑顔を保ちながら頷き、旅館の備え付けのアロマオイルを手に取った。
「じゃあ…少しだけね?」
座布団を並べた片隅に、彼はうつ伏せになった。浴衣の帯をほどいて背中を開くと、そこには、うっすら汗ばんだ若々しい肌が現れた。私は、手のひらでオイルを温めると、静かにその背中へと滑らせた。
「……っ、冷たい。でも気持ちいいです」
深い息と共に、隼人くんが呟く。
私は、肩甲骨をなぞるように指を滑らせ、彼の緊張をほぐしていく。けれど──
指先から伝わってくるのは、ただの筋肉の張りだけではなかった。触れるたびに、彼の身体がかすかに震える。
吐息が、どこか熱を帯びていく。
「……うっ……ああ……」
その声は──
明らかに、快感をこらえるような、男の喘ぎ声だった。
誰も気づいていない。けれど、私の耳にはそれだけがはっきりと届く。
周囲の笑い声が遠のき、私と彼の間にだけ、濡れた静けさが流れ始めた。
(いけない、こんな──でも……)
彼の肌の温度、脈打つ背筋、指先の下で震える若い肉体。それに呼応するように、私の内側も、徐々に火照り始めていた。
「綾香さんの手……ずるいですよ」
ふいに、彼が小さく呟いた。
耳元で、囁くような声。誰にも聞こえないように。
「手、優しすぎて……もう、変になりそうです」
その言葉が、背骨の奥を伝って、じんわりと下腹部まで届いた。
私は、咄嗟に手を止めた。
けれど、もう遅かった。
彼の体温と声と匂いが、私の中に、確かな欲望の火を灯してしまっていた──
背中から手を離した瞬間、私は自分の掌が微かに汗ばんでいるのを感じた。
旅館の天井から吊るされた扇風機の羽が、やけにゆっくりと回っている。周囲の笑い声はまだ続いているのに、私と隼人くんの間だけが、まるで別の時間に隔離されたように、濃密だった。
「…もっと、やってほしいです」
彼の声は、もう明確だった。
遠慮や酔いの言い訳ではなく、まっすぐな欲の色を帯びていた。
「もう、宴も終わりそうだから……このあと、空き部屋、ひとつあるんですよね?」
──どうして知ってるの?と問いたい気持ちと、すでにその部屋のことが私の頭にあったことを、否定できなかった。
私は、旅館の二階、隅の和室の襖をそっと開けた。隼人くんはすでにそこにいて、窓を開けて外の風を入れていた。蝉の声がまだ遠くに残っている。
「ここなら…静かですね」
そう言って振り返った彼は、もう宴会場で見せていた無邪気さではなかった。
私の視線を正面から受け止める目。若さとは思えない真っ直ぐな欲望。
浴衣の襟元を、そっと自分で外すと、彼が私の手を取った。
「さっきの…手の感覚、まだ残ってます」
私は黙って頷いた。なにも言い訳できない。なにも逃げ道は残されていなかった。
私の肩に手が伸び、ゆっくりと、迷いもなく帯が解かれる。空気が入れ替わるように、肌が露わになる。
整体師として触れてきた無数の身体とはまるで違う、逆に触れられる立場になるこの感覚。ぞくぞくと、全身の神経が目を覚ます。
「綾香さん、触れていいですか」
その言葉だけが、最後の理性に刺さるように響いた。
頷いた瞬間、彼の唇が肩先に触れた。熱い。若い体温が、私の皮膚を焼くようだった。
舌先が、背筋をゆっくりとたどる。指先が胸元に滑り、帯の下で乱れた下着の上から、柔らかくなぞる。
「…ん…あ……」
自分の声が漏れてしまう。驚くほど甘く、湿った声だった。
「こんなに…柔らかい…」
呟きながら、彼は私を畳に横たえ、浴衣を脱がせる。汗ばんだ胸元、腹部、太腿へと、彼の手は止まることなく動いていった。
そして──
私の奥深くに、彼がひと筋、ゆっくりと沈んでいく。
(ああ…入ってきてる)
その感覚が、身体の奥底で泡立つように広がる。異物ではない。むしろ、待ち望んでいた熱。
私は両脚で彼を受け止めるように絡め、何も考えられないまま、その律動に身を委ねた。
「綾香さん、すごく…綺麗です」
耳元で囁かれるたび、私はまた違う自分になっていく気がした。
もう、“母親”でも“整体師”でもない。ただひとりの“女”として、彼に抱かれていた。
果てたあと、私は天井を見上げたまま、静かに息を整えた。隼人くんの汗ばんだ額が私の胸元に触れている。
彼は何も言わず、ただ私の手を握っていた。
「……こんなこと、どうかしてるね」
そう呟いた私に、彼はゆっくりと首を振った。
「どうかしてたら…嬉しくないなんて思わないでしょ」
翌朝、私は整体師の顔に戻り、誰よりも早く荷物を片づけた。子供たちの声が、朝の空に弾けていた。
けれど──
あの夜、隼人くんの指先が私の奥に残したものは、どんなマッサージでもほぐせない、熱の余韻として、今も私の中に微かに疼いている。
それは、背徳ではなく「再生」だったのかもしれない。
忘れていた女の自分を、もう一度思い出させてくれた、あの夜の手のひらの記憶。
私の中の「整体師」ではなく、「綾香」という女の名前を、彼は呼んでくれたのだから──。



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